「道を究めるプロフェッショナル」たちは自らの仕事観を、いつ、なぜ、どのように変えようとするのか。『転職の思考法』などのベストセラーで「働く人への応援ソング」を執筆し続けている作家、北野唯我がナビゲートする(隔月掲載予定)。
北野唯我(以下、北野):高橋さんの作品は「円」と「線」を大胆に使った意匠が印象的です。
高橋理子(以下、高橋):必要最低限の要素で表現する挑戦であると同時に、有限から生まれる「無限の可能性」を示すメタファーでもあるんです。
北野:この職業を志したのはいつごろでしょう。
高橋:幼少期からファッションデザイナーになりたいと思っていました。服飾デザイン科がある高校に進んだ後、染織の勉強をしたくて東京藝大の工芸科に入り、伝統工芸を中心に学びました。そこで着物に出合ったんです。
工芸の世界は、見た目以上に、技法を正しく用いることや、良い素材を使って時間や手間をかけることに価値が見出される。でも、この時代において「そんなことでは伝統が引き継がれずに終わってしまうのではないか?」という危機感を学生時代に感じていました。
北野:伝統工芸の固定観念を打ち破ろうという、いまの仕事で生きていく確信をもったきっかけは?
高橋:博士課程の3年目にフランス外務省の招へいで半年パリに住んだときのことです。あらゆるジャンルのアーティストが集まる場所の併設ギャラリーを借りて着物の個展を催しました。そのとき地元のマダムから「着物は世界中どこにもない素晴らしい文化。それに関われてあなたは幸せ。だから続けなさい」と熱弁されて。
それまで私は「自分の国の衣服について学べば、ほかの国の人と違う感性で服づくりができる」と考えていました。いわばオマケの勉強ですね。でも、現代における着物の存在意義、もっと本質的な側面に目を向けるべきだと考えたんです。
北野:人の成長には「葛藤と手をつなぐ瞬間」が必要だと思うんです。ずっと自分のなかに抱えていた葛藤と、あるタイミングで「この領域なら自分と手をつなげる」と向き合う。それが本当の意味で大人になる、成長することだと私は解釈しています。それが高橋さんには海外で起きた。
高橋:もうひとつのきっかけは、会社を立ち上げたばかりのころです。
三宅一生さんが企画したイベントで高座に上がる落語家・柳家花緑さんが着る着物の制作を依頼されたことでした。そこから何度か一生さんとお話しする機会があったのですが、あるとき「僕は着物を置いてきぼりにしてきちゃったから、君、後はよろしく頼むよ」と言ってくださったんですよ。
北野:すごい仕事を託されてしまった。
高橋:中途半端な覚悟では取り組めない。自分が生きている間に、どこまで、何ができるのか……呉服業界に限らず、繊維業界全体が厳しい状況ですから。私ができることは、最終的に目に見える形へ整えることと、発信すること。だから、一緒に制作する職人の方々の存在が本当に大事。でも、跡継ぎがいないという声も多くて「いまを逃したら着物がつくれなくなる」という危機感を感じています。
伝統工芸の世界も時代とともにアップデートされているので、伝統的な素材や道具を使うことはもちろんのこと、ソフトウェアも同時に使える必要がある。住み込みで修行する時代でもないし、学ぶ場も限りなく少ない。引き継ぐ人材を探すのはとても難しいようです。