ビジネス

2023.06.21 09:00

ビジネスにも通じる、最前線に立ち続けるプロゲーマーの「覚悟」

Forbes JAPAN編集部

梅原大吾 「Red Bull Gaming Sphere Tokyo」(東京・中野)にて

あらゆる職業を更新せよ!──既成の概念をぶち破り、従来の職業意識を変えることが、未来の社会を創造する。

「道を究めるプロフェッショナル」たちは自らの仕事観を、いつ、なぜ、どのように変えようとするのか。『転職の思考法』などのベストセラーで「働く人への応援ソング」を執筆し続けている作家、北野唯我がナビゲートする(隔月掲載予定)。



北野唯我(以下、北野):梅原さんのプロゲーマーというキャリアは、どのように生まれたのでしょう。

梅原大吾(以下、梅原):格闘ゲームに11歳で出合い、14歳ぐらいから毎日ゲームセンターに通いました。それからずっと成果を残し続けたんです。「ゲームが仕事になればいいな」という淡い期待がありつつも、22歳ぐらいで1度ゲームから離れました。

北野:それはどうしてですか?

梅原:自分の人生、22歳の時点で決まっていいのかと思ったんです。プロのゲーマーになれないならゲームメーカーに就職すればいいのか、そこで自分の可能性を決めつけていいのか、という迷いがありました。だからすっぱりゲームを諦めて、勝負事という世界観で共通項のある麻雀を選び、本格的に打ち込んだんです。でも、熱意では最後までゲームを超えられなかったんですね。

麻雀をやめた後は飲食をやって、最終的には介護に落ち着き、それからずっとゲームとはまったく違う世界で生活していました。ある日、友だちに誘われて嫌々ながらもゲームセンターに行って、プレイして勝った瞬間に「あ! 俺はこれだったんだな」と。

北野:いったん離れたことで、大好きなものへの実感がもてたと。

梅原:そのタイミングで世界大会に招待されて出ることになりました。カムバックだから注目度が高かったです。ブランクがあったのにトントン拍子に世界大会に優勝しちゃって、スポンサーが付いてプロゲーマーとしてやっていけることになりました。
 
最初、日本で仕事として成立するかも疑問だったから、オファーを受けるか迷いました。でも「こんなに自分に合うものをやらずに生きていくのは、苦しい」と思ったんです。プロになってからはガムシャラですよ。そこから迷いはないです。

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文=神吉弘邦 写真=桑嶋 維

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