コロナ禍で帰国するも仕事がなかった
——コロナ禍に突入した2020年の夏前に日本に帰国。8年ぶりの日本で、どのようにキャリアをつくりましたか。当初は3カ月ほど滞在してアメリカに戻る予定だったのですが、いつの間にか3年が経過してしまいました。まずは実家のある大分に帰ったのですが、日本で名前が知られていなかったこともあり、バイオリニストの仕事は全然ありませんでした。
ただ、半年ほど経って東京の成蹊大学と秋田の国際教養大学から講師のオファーをいただきました。そのあと、2021年の年明けに「モーニングショー」(テレビ朝日)にコメンテーターとして出演することになりました。相性がよかったのだと思うのですが、ありがたいことにそのままレギュラーになり、これを機に拠点を東京に移しました。
そんなわけで日本でのお仕事は、大学での授業、テレビ出演、執筆がメインになりました。2021年末くらいからはテレビの影響もあり、「バイオリンも弾けるらしい」という認知が広まってきて、演奏のお話も少しずついただけるようになり、今では演奏が仕事の大部分を占めるようになりました。
——幅広いお仕事を引き受けているのはなぜですか。
基本的には興味があるお仕事は受ける、というスタイルです。合うか合わないかはやってみないと分からないので。
そのため、常にどんなオファーが来てもいいように心がけています。例えば急に「メンデルスゾーンのコンチェルトを弾いてもらえませんか」と言われても、徹夜で準備すれば対応できます。チャンスを掴む準備を、24時間365日しておくのは大事なことです。
多くの人に「生の音」を届けたい
——バイオリニストとして、これからどんな風になりたいですか?多くの人に「生の音」を届けていきたいと思っています。先日、栃木のカフェや、山梨のワイナリーの屋外のステージといった30〜40人規模の場所で演奏してきたのですが、「生の演奏を聴いたことがない」というお客さまもたくさんいました。
こうした近い距離で演奏を聴いてくれた方々が直接「感動」を伝えてくださると、「弾きがいがあるな」と感じます。これからもこうした演奏会を通じて、音楽を通した社会貢献をしていきたいです。
いちバイオリニストとしては、世界の名門オーケストラとクラシックの名曲を共演できればもちろん光栄ですが、それは他の人にもできること。自分にしかできない演奏スタイルを探すことが人生の目標です。
ただ、演奏する場所としては、日本だけでなくいろんな国に行きたいという気持ちはあります。その国のカルチャーを肌で感じてこそできるパフォーマンスがあるからです。
例えば昨年、ブエノスアイレスでアルゼンチンタンゴを演奏させてもらったのですが、24時スタートのはずが1時間遅れ、27時くらいに演奏が終わると解散ではなくチュロスを食べに行くことになり、そこではフラメンコギターを弾き始める人がいて……。朝方になっても「さて、これから何しようか」と盛り上がっていました。まさに、本場を感じる経験でした。
こうした考え方は、ヨーヨー・マさんの影響かもしれません。様々な国の方々が語りたい“ストーリー”を現地で吸収しそれを解釈した上で音楽というツールで伝える、ということにこれからも取り組んでいきたいです。その経験を増やして、バイオリンを通じて社会に展開していきます。