国内

2023.07.27 12:00

「当事者」から「共事者」へ。 思いの連続性が社会を変える

Forbes JAPAN編集部

小松理虔 「UDOK.」主宰

戦争、紛争、自然災害。時々刻々と起きる社会課題に、私たちはどう向き合えばいいのか。地域活動家の小松理虔に学ぶ、「事を共にする人=共事者」の社会変革論。


社会のさまざまな側面で、数の少ない「当事者」の声が大きく拡散されることが増えた。しかし、「当事者」という言葉は時として二元論的に「非当事者」との間を線引きし、「当事者以外語るべからず」との空気をもたらすことさえある。そんないまの社会に希望をもたらすのは「共事」の心ではないか──。そう提唱する、福島県いわき市小名浜に拠点を構える地域活動家の小松理虔に話を聞いた。

──著書『新復興論』のなかで、「真の当事者は存在しない」と書いている。

2011年の東日本大震災と原発事故により、「当事者」をめぐる議論をするようになった。僕自身は確かに地震を経験したが、家族を失っていないし、自宅が避難区域になったわけでもなく、「当事者だ」という自覚はなかった。しかし、僕の声はSNSなどを通じて当事者の声として拡散された。人は、自分よりも被害にあっている人(内側)を「当事者」と認識し、それより外側にいる自分は「非当事者」であると認識するのだと思う。

あの日、東北エリア以外でも被災した人がいた。福島でつくられた電気を消費していた人がいた。福島県産の食品を積極的に買う人がいた。故郷や故人を思いオロオロと泣いた人がいた。濃淡はあるにせよ、それぞれが当事者性をもっていたはずなのに、「当事者」と「非当事者」に二分された世界では、「非当事者」は「自分には語る資格がない」と、語ることを避ける。そこで僕は、震災には真の当事者は存在せず、全員が当事者性をもっていることを自覚し、真剣に向き合うべきだと主張した。

──この考え方には少なからず反発もあった。

当事者にしか語りえないことはあるのだという反論をもらった。当事者を無視して、全員で考えるべきだとする僕の意見には、本当に苦しんでいる人たちの声が無視される暴力性があるという声だった。例えば障害福祉の現場では、苦しみのなかにいる人、すなわち当事者が自分の当事者性を表現することでトラウマや傷に向き合う、当事者研究が行われている。確かに、当事者にしか語りえないことがあるのは事実だ。

──そこで生まれたのが「共事者」という言葉だった。

一人ひとりがさまざまな社会問題に対してもっている「当事者性」に気づくための新しい言葉が必要だと思い、「事に当たる=当事」ではなく「事を共にする=共事」という言葉をつくった。

社会課題に対して、「私は当事者ではないので、当事者の方々のよいように決めてください」というスタンスは一見、当事者に寄り添っているかのように見えて、実はその課題を自分ごとにできていない。どんな濃淡があってもいいから、「自分は共事者である」と言うことができれば、社会課題の解決のために一歩を踏み出すハードルが下がるはずだ。

また、共事者という言葉に救われる非当事者もいるだろう。「私は共事者である」と思うことができれば、「自分は当事者に寄り添えていないのではないか」「誰かを傷つけていたのではないか」という苦しみから解放され、エンパワーメントされる。現に、共事者だと考えるようになってから、僕自身もジェンダー問題に対して「自分にも関係がある」と思えるようになった。
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文=中崎史菜

この記事は 「Forbes JAPAN 2023年6月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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