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2023.07.20 09:00

非日常で贅沢な冒険こそが「究極のラグジュアリー」なのか?

シャクルトンはじめ隊員たちは極限状態における紳士的行動を賞賛され、旅は美談として語られてはおりますが、いや、ほんの少し何か条件がずれただけで氷塊におしつぶされタイタンのようになっていたかもしれないリスクがあったわけです。

生死の淵をさまよう究極のエクストリーム・ツーリズムを経て、シャクルトンはいったい何を得たのでしょうか? 手記にはこのように書かれています。

「記憶のなかで、私たちは豊かだった。見かけの虚飾など突き破った。私たちは、苦しみ、飢えながらも、勝利した。腹這いになって栄光をつかみ、大きく成長した。光り輝く神を見たし、自然の物語を聞いた。人間の裸の魂に触れたのだ」(『南へ エンデュアランス号漂流』)
1914年8月1日、アーネスト・シャクルトンの帝国南極横断遠征でロンドンのミルウォール・ドックを出発する「エンデュランス号」(Getty Images)

1914年8月1日、アーネスト・シャクルトンの帝国南極横断遠征でロンドンのミルウォール・ドックを出発する「エンデュランス号」(Getty Images)


幸運な生還者のみが語れるロマンティックな回想ではありますが、現代のエクストリーム・ツーリズムを考えるに際し、示唆に富みます。もはや虚飾にまみれたモノを買うことにも贅沢な暮らしにも慈善事業にも喜びを見出せなくなった人間が、究極の豊かさ、生きる手ごたえを探して向かう先のひとつが、前人未経験の苦難の旅であるということ。実際、数々の苦難を克服する「旅」を経て事業を成功させてきた事業家も多いでしょう。

旅からの生還者が、果てに見出したのが人間の裸の魂だったと語るのも、スピリチュアルな領域の話に見えますが、案外、侮れません。というのも、もはやグーグルマップで検索すれば地球上のおおよその景色がわかり、秘境の写真もSNSにあふれかえる現在ではいっそう、「外」の世界に未開のユートピアなど期待できないからです。宇宙の景色だって遠からず閲覧可能になるでしょう。

となれば残された未開の地は、人間の心の深奥にしかなさそうです。AIが支配力をふるう近未来には、かえってますます人間の心の探究が進むのではないかとも予想します。

怪しい用語が飛び交うスピリチュアリズムに走らず、心の未知の領域を探索する冒険の旅に出て、新しい視点を獲得して世界の見え方を変えること。新しいラグジュアリーの世界にもエクストリーム・ツーリズムがあるとすれば、その意義は、各自が心の深淵の旅を経て獲得した視点による斬新な世界観を提示すること、ということになるのではと想像するのですが、いかがでしょうか?

現在、一部の富裕層の間に流行する命がけのエクストリーム・ツーリズムとはベクトルが異なる、新しいラグジュアリーにおける「次なる冒険」があるとすれば、安西さんはそれはどのようなものとお考えになるでしょうか?
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文=中野香織(前半)、安西洋之(後半)

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