「これでは、児童虐待ではないか……」
スポーツが社会と隔絶されている日本では、何の問題にもならないだろうが、アメリカではそれを社会が許さないはずだ。年端も行かぬ子供達、判断力に乏しい子供達に、親や指導者が選択肢を与えないという、暴力は伴わないものの明らかな「虐待」を。これが大人の都合での子供扱いでないなら、何がそれにあたるか教えて欲しい。
そこに参加している競技団体、つまり種目をスポーツエコノミクスという観点から見ると、どの競技もなかなかお金を稼げない、つまりマイナースポーツであるといえる。まことしやかな噂レベルなので、言い切ることは避けたいが、もしそのプログラムに参加することによって、「お金が稼げない」そのマイナースポーツの団体やそれに関わる大人達になんらかのベネフィットがもたらされているとすれば、それこそ「大人の都合での子供扱い」の最たるものであり、アメリカでは児童虐待であると指をさされてもおかしくない事案である。
しかし、それに関わっている人や、彼らの親は絶対に責めないで欲しい。なぜなら、長い年月をかけて大人達が子供に、「自分にはこれしかない」と考えるように仕向けることは日本でずっと行われてきたことであり、関係者や親は「大人の都合での子供扱い」といった考え方があることすら思い浮かばないからである。
ただ、筆者の連載で何度も述べてきているように、我が国だけでは多くのことが完結しなくなった2023年においては、このような子供の扱い方は時代遅れとしか表現しようがない。そして、その見えざる不利益は常に子供達が受けることになる。
「幾つもある選択肢の中から競技を選ばせる」ことの自明の理が──
判断材料の乏しい若者に選択肢を与えずに、一つのことだけに没頭させ、将来など顧みず親が決めた、または仕向けたスポーツをやり続けさせる。
一方で海を数時間渡ったスポーツ大国、スポーツ先進国では、小さい時からやりたいことをいくつもやらせて、幾つもある選択肢の中から自分が選んだ競技を続けていく。その結果としてオリンピックメダルを量産する。どちらが効率的かつ、若者の将来を深く考えている国と言えるであろう?図らずも、この手の悪しきストーリーに加担している当事者でさえ、このシンプルな質問には、後者であると答えるに違いない。
「それは本当に子供達がやりたいことなのか?」
スポーツ界だけではない、幼稚園や小学校低学年から学習塾へ通わせ、一貫教育の学校に入れたり、まだ就学前の子供をヨーロッパの有名な全寮制の学校に送り込んだりする例まであるようだ。
ここで、一つだけの質問を皆さんにするので、いつもより深く、未来ある子供達のためにゆっくり考えて頂きたい。「それは本当に子供達がやりたいことなのか?」