もう一人は彼が起きている時間の多くを一緒に過ごすシッターの女性との事なので、たまにしか会わない人なのにどうして? と両親は疑問に思っているそうだ。ただの自慢話と思われないためにも、そのおかしな現象の理由を考えてみた。2つあると思う。
1.私の職業が、アメリカの子供達から尊敬を受けやすいアメリカンフットボールコーチであること
2.ほとんどの場面において、彼を子供として扱わないこと。具体的には、言葉遣い等のコミュニケーションにおいて、大人と同等、つまり友人や同僚のように接していること
2番目については、自分でも意識しているつもりである。単純に、こちらでそのようなコミュニケーションや、子育ての方法、社会の仕組みに接しているからである。
個人差はあるだろうが、4~5歳ぐらいのある程度の意志や判断力を有する子供達とは、正面から一人の人間として向き合う、変に子供扱いしないように接している。
日本は子供を子供扱いし過ぎている?
それについて考えた時に、筆者が常に問題視している、日本の教育についての「あること」がある。
それは、「日本は子供を子供扱いし過ぎている」ということである。世界の他の国がどうかは知らないので、「アメリカと日本との比較論」には留まるが、どうもそこには大きな差が存在して、それが教育を中心とした日本の諸悪の根源になっているのではないかと思うのである。
以下甚だ勝手ながら、独自の理論を読者の皆様にシェアしたい。
エリートアカデミーは「児童虐待」まがい?
私の専門分野であるスポーツ界で起きている、子供扱いが過ぎる事例をシェアしたい。ただしこれはあくまでも、アメリカのスポーツ界に身を置く筆者なりの視点であることを斟酌されたい。
2016年頃だったであろうか、日本オリンピック委員会がナショナルトレーニングセンターにおいて行っているプログラムで「若きアスリートが、東京オリンピックに向けて頑張っている」といった内容の、この手の熱血話が好きな筆者の母などが泣いて喜びそうな内容のドキュメンタリーを見る機会があった。このプログラムは日本全国から選び抜かれた将来のオリンピックのメダリスト候補が、競技の垣根を超え寝食をともにして、競技力のみならず栄養面やトレーニング等の徹底的なサポートを受け、国際的競技力の向上、つまりオリンピックメダルの数を増やす事を目指すというものである。
「私、ここに引っ越してきてから通信制の学校に転校しました。だから週に6日も練習できるんです」