チケット以外の収入源があると、デザイナーにアートワークを依頼したり、ミュージシャンにイベントのテーマ曲を作ってもらったり。エンタメとしてのクオリティを上げて、お客さんに対するホスピタリティのレベルも上げられるし、可能性がずいぶん広げられました。その分、ご負担いただいたものよりも明確に多くの価値を返すことが大事だと思っています。
目指しているのは、落語が好きな人に、もっと楽しんでもらうということ。もちろん、どんどん多くの人に好きになってもらうのは嬉しいけれど、極端にわかりやすくしたり、やる内容をすごく変えてしまうというのは、本末転倒だと思っています。資本主義的に利益をどんどん増やしてお金持ちになりたいという発想はない。結果的により多くの人に見てもらえることは望ましくても、お客さんや収入を増やすことを目標とはしていないんです。
——著書の『現在落語論』では、吉笑さんはもともとお笑い芸人を目指されていて、そこから弟子入りして落語家になられたとお話されていました。落語家というキャリアの魅力はなんでしょうか。
お笑い芸人を目指して、毎月オーディションを受けていましたが、持ち時間たった1分で何百分の1を争うし烈な争いで、どれだけやっても手応えがありませんでした。自分がやりたいのは「面白いこと」であって、「お笑い芸人になる」というのにこだわらなくてもいいんじゃないか。別の道でやってもいいんじゃないかと考えた時に気になったのが落語でした。
自分の特性として、平場でグイグイ前に出ていく力強さがなかったり、理屈っぽいところがあったり、それらはお笑い芸人としてはマイナスポイントかもしれないけど、落語家としては邪魔にならないというのもありました。今年、39歳になりますが、継続できていて、収入もある程度安定して生活できています。
落語がいいのはなんといっても、年をとるのがプラスに働くとところです。年をとることはネガティブにとらえられやすい。お笑いもセンスや瞬発力の世界ですし、年を取るとそれらは衰えてしまいます。でも、落語は年をとることが味わいや説得力に変わってくると思います。それは「芸」の力だと思うのですが、落語家でいると年を取ることに良い予感しかない。「今日より明日が楽しみ」というのは幸せな状況だと思います。10年後の自分の芸がどうなるのか、自分も楽しみなんですよ。
落語はまだマイナーな面もあるので、より多くの人に知ってもらいたいっていうのももちろんあります。落語は難しいというイメージがあるかもしれません。もちろん難しい落語もありますが、映画や演劇のようにカルチャーとして楽しめる落語もあると思っていて、そういった部分も伝えていきたいです。