日比谷の東宝本社11階。廊下には近々封切られる映画のポスターが並び、奥には48席を備えた試写室がふたつある。「社長就任前はここですべての東宝配給作品を観ていた」という松岡宏泰は、撮影のために訪れた試写室で『劇場版 呪術廻戦 0』のヒットについて心境を語った。
コロナで映画館が完全自粛に追い込まれたのは20年春。窮地を救ったのが、東宝・アニプレックスが配給して興行収入日本歴代1位を記録した『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』だ。ただし、このヒットはカミカゼ的。映画産業の復調は、松岡が「100億円を超えれば社会現象」という特大ヒット作を継続的に生み出せるかどうかにかかっていた。
「22年は100億円以上が4本出たんです。これは近年なかったこと。10億〜50億円レンジのヒットが減っていることが課題ですが、お客様の数はコロナ前の9割まで戻ってきました」
注目は、22年の特大ヒット4本のうちの3本がアニメ映画であり、いずれも海外での評価が高いことだろう。そのひとつ、『劇場版 呪術廻戦0』は国内興行収入約138億円で、同程度の海外興行収入を叩きだすまでに至った。
「アメリカではいまも週末はディズニーやトム・クルーズで、日本映画は水木金の特殊上映。その状況でも海外でコンスタントにヒットを出せるようになりました。少し前までは考えられなかった。すごいことです」
日本映画は海外でも戦える──。いまではその手ごたえを感じているが、かつて松岡にとって海外は手の届かない存在だった。
初めて海外を意識したのは、テニス少年だった13歳のとき。ひとつ下の弟、修造とともにナショナルチームに帯同してフロリダに飛んだ。
「のちに錦織君を育てたニック・ボロテリーのキャンプに参加したのですが、ラケットの握り方から試合前の過ごし方まで、あらゆることに差があった。正直、これは無理だなと」
大学卒業にあたり、東宝社長の父からは「お前が入れる会社ではない」と突き放された。浮かんできたのは、小学校の担任の「松岡君はアメリカ向き」という言葉。再び世界を見ようと留学した。
松岡は「映画を学びに行ったわけではない」という。ただ、引き寄せられるものがあったのだろう。米大学を卒業後は20世紀FOXでインターンをし、大学院卒業後はタレントエージェンシーのICMに入社した。