食&酒

2023.06.01

佐賀の銘酒「鍋島」 三代目当主が果たす地域への貢献

佐賀県鹿島市にある富久千代酒造


僕が酒蔵に戻った頃は業界もまだ古く、酒販免許取得のハードルが高く、小売店の競争は今ほど激しくありませんでした。そうするとメーカーはどうしても立場が弱く、リベートがあったり、卸価格を下げるように言われたり、正直なかなか大変でした。

90年代後半に酒販免許の規制が大幅に緩和されてから、環境が変わってきます。一般の酒屋さんだけではなく、スーパーマーケットやディスカウントストア、コンビニでもお酒を売れるようになり、実際にけっこうな数の酒屋さんがコンビニに業態転換したりもしました。

うちの一番の卸先だった業務用酒販店も新たにディスカウントストアをはじめて、ぐいぐい成長されたんですが、普通の酒屋さんからしたらディスカウントストアはやっぱり“敵”なんですよね。その類と取引のある酒造メーカーも、その延長線上で嫌われてしまいます。当時まだ「鍋島」のような銘柄もない状況で、どちらを向いていいのやら、困った状況でしたね。

ちょうど継いだ頃に、灘の大手の酒造会社を見学したことがあって、規模の違いに衝撃を受けました。うちの1年分くらいの量を、自動化された工場で2、3日で瓶詰めまでしていて……こんな会社と価格競争をしても勝てるはずがないと実感しました。また、当時は業務用酒販からプライベートブランドの提案も多く、取り組んではみたのですが、あまりうまくいかずにラベルの種類ばかり増えてしまいました。

チーム鍋島で、佐賀から全国へ

父にも話していたのですが、私には昔からこだわったモノづくりに挑戦したいという気持ちがありました。全国のいい地酒を扱っている福岡の酒屋さんに勉強にいっているうちに、佐賀で、九州を代表する日本酒を造るべきだという気持ちが湧いてきました。県内にも、地酒ブームを牽引した新潟の「久保田」を扱う酒屋さんが出はじめていた頃です。

新しい酒づくりをするにあたって、酒屋さんに声をかけると、「うちは『久保田』があるので」と言われがちだったので、我々はこれから生み出すお酒を柱にしてくれるような、気概のある若い酒屋さんとチームになっていきました。現在、「鍋島」はその価値をしっかりと理解してくれている特約店経由でのみ販売しているのですが、そうしてタッグを組んだのが原点になります。

当時、いいお酒ができると東京に売りにいくところも多いなか、我々は地元に腰を据えたい思いもあり、まず佐賀で支持されるものを作ってから全国にというイメージをしていました。そのうちに、若い作り手の良質な日本酒を紹介するようなイベントからも声がかかるようになり、まだ赤子だった娘を背負って家族総出で行っていたのを思い出します。

全国各地から40くらいの蔵が来ていて、新しい発見や学びもありました。一方で、日本酒のイベントなのに、九州と言うと「何の焼酎持ってきたの?」と聞かれることもあり、佐賀に対する日本酒のイメージのなさを目の当たりにしました。
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取材・文=山本憲資

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