ビリオネアや富裕層、あるいは、より広いテック界の覇権について否定的な人が、宇宙への拡張の試み全体を否定することは、容易に想像できる。今の時代に沿った批判は、次のようなものかもしれない。「私たちはすでに、地球を破壊しつつある。別の世界をだめにする前に、この世界をきれいにするべきだ」
これは、いくぶん真っ当な主張だ。人類の探査の歴史が、植民地政策や奴隷制度、大量虐殺などの残虐行為にあふれていたことは、厳然たる事実だ。しかし、問題は探査そのものではない。新世界の探査には、そうした残虐行為が必ずしもついて回るとは限らない。
私たちは過去の失敗から学び、それに応じて前へ進む能力を備えている。人類の探査の歴史が生活の質を改善し、寿命を伸ばしてきたことを考えると、曇りのない視点を持って前へ進むことが、唯一の責任ある方法だと私は考える。米国ががむしゃらに地球周回軌道や月を目指したソ連との競争は、ある種の恐怖に駆られたものだったが、そこで得られた衛星技術の進歩は今、社会に還元され、誰もが毎日それに依存している。
月や火星で宇宙飛行士が太陽風の定常的な放射線の中で生きていく方法に関する将来の研究が、がん治療の躍進につながることも十分あり得る。
問題は、そういった重大ミッションと、それに必要なブレークスルーの推進者や管理者、番人になるべきなのは誰なのかだ。マスクとベゾスの2人だろうか? それとも、私たち全員だろうか?
ビリオネアたちはひとまず、地球を離れるための輸送手段を提供してくれるかもしれないが、新天地で私たちが何をするかのビジョンは、より集団的なものとなることを願う。
(forbes.com 原文)