丹後で考えた「中庸の究極」と英ジェントルマン文化の共通点

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このジェントルマンの政治的な立ち位置を表すイメージが、ほかならぬ「静輪(しずわ)」に近いのです。国王を儀礼的に支えながらも絶対権力は与えず、ともすると暴れがちな民衆にはむしろ、共通の敵が国王であるかのように信じ込ませながら支配するのですから。

「国王&貴族」VS「諸階級の民衆」というフランス的な二極の対立構造をもちこまず、暴走する危険をはらむ国王や暴動を起こすリスクのある民衆を抑制し鎮める役割を果たすという意味で、ジェントルマンは暴れる絹糸を鎮める「静輪」のような役割を果たしていたのではないかと思います。

ロンドンに居をもつとしても日ごろは各所領に拠点を置き、地域の人々との交流や慈善活動を活発に行っていたことも、人心の安定に貢献していたと想像できます。

実際、二極の対立構造が限界を超えてしまったフランスでは革命が起きましたが、新興層も柔軟にジェントルマン層にとりこんできたイギリスでは、流血革命を避けることができました。国王の独裁を許さず、諸階級民衆の要求も現実主義に立ってとりこむことで、つまりジェントルマンが現実主義に立った政治を「静輪」のようにおこなっていくことで、国王も貴族もいまだに存続しています。

もちろん、ただ地主貴族階級であるという経済的基盤だけでこのバランスが保たれてきたわけではありません。富と権力をもつ支配層が野蛮なふるまいをしたらたちまち国が亡びるという前例に彼らは学んでいました。支配層たるジェントルマンであるためには、教養や人品といった美徳も求められました。
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それを教育するために、紳士養成機関たるパブリックスクールがありました。現在、日本でも分校ができているパブリックスクールは当時とは違ったものになっていますが、19世紀、産業革命が進んだ時期のパブリックスクールでは実学は教えず、体育と古典語のカリキュラムが中心でした。

ギリシア語でアリストテレスを読み、ラテン語でキケロを読むことによって、支配者が備えるべき叡智をたたきこんでおくことが大切と判断されたためです。体育は戦場での将校としての戦い方を鍛えることに役立っていきます。「ワーテルローの戦いはイートン校の戦場で勝ちとられた」というウェリントン公爵のことばは有名ですね。

そんな教育を受け、支配層となった彼らに必須とされた美徳である「ジェントルマンシップ」こそ、質的中庸の極みともいえます。
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文=安西洋之・中野香織

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