丹後で考えた「中庸の究極」と英ジェントルマン文化の共通点

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怒りっぽさと無関心の中間にある「温和」、厚顔無恥と遠慮の間にある「慎み」、浪費とケチの中間にある「気前の良さ」、尊大と卑下の中間にある「高潔さ」、悪ふざけと野暮の中間にある「機知とアイロニー」、おべっかといじめの間にある「友愛」など、紳士的気質はギリギリのバランスにおける中庸を極める修練の暁に獲得されるものです。

レディファーストのマナーなども、敵に遭遇したら女性を自分の盾にするという野蛮さと、女性を上に立てて敬意を表することで諸々の面倒を回避するという狡さとの、洗練をきわめた中庸の表現とみることもできます。

経済的基盤ばかりでなく、極端なまでの中庸の美徳を備えていた、少なくとも儀礼的にはそれを示そうとしたがゆえに、彼らは他の階級の民衆からも敬意を受け、嫉妬や怒りの対象にもならず、良好な共存関係を保つことができたのです。

そんな過剰な中庸、極端な中間のシンボルともいえるものがジェントルマンの制服だったスーツですね。派手でも地味でもない、すれ違っても振り返られない「さりげなさ」。華美にも無個性にもならない「品ある抑制」。個々の身体の特徴を打ち消しながらもほどよくフィットする「ミニマルな抽象性」。

ジェントルマンもスーツも時代遅れと言われ、その意味を若干、変えながらも細々と今に生き残っています。彼らのライフスタイルを体現するラグジュアリー製品である靴や旅行鞄、ステッキやボードゲームの類は、いまだにその取扱い方法に関する知識とセットで命脈を保っています。その強靭なサステナビリティの秘密は、過激なほどの質的中庸にあることに、安西さん説を通して気づかされました。 

AIとの共存を考えたとき、中庸のバランスを極めるジェントルマン的なありかたが、やはりインスピレーションを与えてくれます。AIの暴走を許さず、人間の身体的能力や人間がおこなってきた営みを偏見のない目で「再発見」していくことで、両者のバランスをとる「静輪」のような生き方を目指したいものです。

文=安西洋之・中野香織

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