丹後で考えた「中庸の究極」と英ジェントルマン文化の共通点

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ここでラグジュアリー領域の話になってきます。

ラグジュアリーの一つの特徴として「過剰や極端であること」が挙げられます。何か特定の素材をふんだんに使うのも一例です。また、通常の判断軸では許容されない極端な表現をすることもそうです。よって、過剰や極端とは「これ以上は無理、これ以上に先はない」状態を想像しやすいです。

しかし、ぼくが丹後ではたと、ラグジュアリーにおける過剰や極端を「量的」なイメージだけで捉えすぎていたのではないかとの反省しました。では、「質的」な極端とは何か?

そこで、実は質的な中庸が質的な極端にあたるのではないかと思いつきます。右でも左でもなく、上でも下でもなく、真ん中にあるのが質的な中庸。言い換えれば「バランス」であり、それこそ重要であると同時に難しいものでもあります。

量的な視点でみていると一つの物差しではかることを想定しやすいです。直線的で平面的です。しかし、目指すべきなのが質的中庸である場合、もっと複雑で3つ以上のあらゆる要素が絡み、それらの間には緊張関係があるはずです。立体的です。この難しい構図のなかで最善のパーフォーマンスを示そうとするのが新・ラグジュアリーと位置づけるのはどうだろう、と仮説をたてました。

なんと、このコンセプトのメタファーになりそうな小道具が丹後のどの工場にもありました。「静輪(しずわ)」と呼ばれるものです。いろいろな使い方がされるのですが、基本とする機能は、同じように撚りがかかるようにテンションをかけることです。陶製なのは、静電気を起こさないためです。ここでもはっと気づきます。

静輪(しずわ)

静輪(しずわ)


中野さん、ご覧の通り、このテーマはぼくのなかでまだ生煮え状態です。ただ、考えていて自分でもワクワクするので、新しい方向を示す兆候ではないかと勝手に思っています。

中野さんが専門とする英国史は、ここで述べた弱い産業革命の発祥の地です。ぼくも、昔、ケントやノーフォークによく出かけたのですが、イタリアのトスカーナやフランスのプロバンスとは少々違った田舎の匂いを感じます。丹後と新ラグジュアリーを繋げるにヒントになりそうな、英国の田園風景と似合うジェントルマンの文化について教えてください。
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文=安西洋之・中野香織

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