父の役割を全面的に引き受ける覚悟
義務感から始まった同居生活だったが、息子ガディの言動に反応するルーベンの表情はすばらしい。叩き上げの車の整備工として生きてきた無口な初老の男の、年齢相応の皺の刻まれた、しかもこれまであまり感情を面に出さずに生活してきたであろう顔。ちょっとした目と眉の動きに、彼のその都度の心情が繊細に語られていて実に魅力的だ。
ルーベン役を演じたドヴ・グリックマン(2013年)/ Getty Images
当初は、成人したガディの明らかに他の大人とは異なった様子に、不安と戸惑いを覚えている。息子の頑固さにたじろいだり、わがままにムッとしたり、意外な無邪気さに思わず笑みがこぼれたり。ルーベンの一見強面な顔つきは、ガディとの生活の中で徐々にほぐれていくのだが、不治の病を自覚してからはそこに重く複雑な影が差すようになる。
一方のガディは、天真爛漫と神経質の同居したユニークな個性をもち、父が「陰」なら完全に「陽」のキャラクターだ。リタのキッチンで働くアデラに、デデの恋人と知らずに恋をして「結婚したい」と言い出すかと思えば、イラナについてルーベンに「父さんもヤッてる?彼女とヤリたい?」などとあけすけに質問したりする。
数日の予定で滞在した施設のある「村」では、ミハルという女性に惹かれ、演劇の台詞を真に受けてしまう。このようにすぐ女性に恋心を抱くなど、あまりにも率直に生きているガディと周囲の人々との笑いを誘うデコボコしたやりとりは、コメディ要素として全編に散りばめられている。
しかしそんな明るい表面とは裏腹に、ガディが密かに自殺願望を抱えていることも、ドラマの進行とともに見えてくる。「父さんは僕を恥じている」とバターナイフを腹に突き立てて泣く場面で、ルーベンは初めて、息子が深く抱え込んだ生々しい苦しみに直面するのだ。
このあたりから、妻との間に生まれた息子に発達障害があるとわかって拒絶し、養育費だけを送る親として生きてきたことへの罪悪感とともに、ガディへの憐憫を超えた愛惜が、ルーベンの中ではっきりとかたちを表わしてくる。
腎不全を宣告されているルーベンが自分の透析を忘れ、希死念慮に囚われたガディを「村」まで飛んで迎えに行った時、彼は今まで逃げてきた父の役割を全面的に引き受ける覚悟をしたと言えるだろう。
しかし、車の中で安心して自分に身を委ねたガディに「どこへもやらん、心配するな」とその肩を抱いたルーべンの言葉は、半分は本当で半分は嘘だ。なぜなら彼の病状がかなり深刻であることは、ルーベン自身が体感として知っていたからだ。休んではいけない透析を度々サボってしまうだけでなく、咳き込みながらもルーデンは煙草をやめない。その姿はあたかも自分を罰し、緩慢な自殺に向かっているようにさえ見える。
ガディがルーベンのリアルな病状を知るのは、ドラマが終盤に近づいた頃である。既に腎移植せねばならない状況に陥った父のことをリタから聞いたガディは、ドナーになりたいと申し出るも、障害をもつ被後見人にはその資格がないとして却下され、癇癪を起こして引きこもってしまう。