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2023.04.15 18:00

障害を持つ息子は被害者か? 罪悪感を抱える父親の「間違い」丨映画「靴ひも」

映画「靴ひも」より イラスト=大野左紀子

与え守る立場と、与えられ守られる立場。親と子の関係は、とりあえずそんなふうに規定できる。

いつかはそうした関係性からそれぞれが解放されることが多いが、子が自立できないような特殊な問題を抱えている場合、この親子関係は継続されるだろう。では、その継続した親子関係が破られて、子が親に与え親を守ろうとする時があるとすれば、どんなケースだろうか。

知的障害者の息子とその父を題材にした映画

数々の映画祭で観客賞を多数受賞しているイスラエル映画『靴ひも』(ヤコブ・ゴールドヴァッサー監督、2018)は、自身も障害のある息子をもつ監督が、「知的障害者の息子が父親に腎臓を提供した」という実話から触発を受け、制作したドラマだ。

エルサレムで小さな自動車修理工場を営むルーベン(ドヴ・グリックマン)は、何十年も前に妻子と別れて一人暮らし。ある日突然、元妻の葬儀に呼び出され、ソーシャルワーカーのイラナから、母を失った息子ガディ(ネボ・キムヒ)を行き場が決まるまでしばらく家に置いてほしいと頼まれる。

ガディは既に38歳になっており、発達障害を抱えていた。30年ぶりに対面したガディを、やむなく一人暮らしのアパートに引き取ったルーベンだが、自分の中の規則や習慣を頑なに守り、二言目には「母さんは....」と口にし、あげくは癇癪を起こす息子への対応に四苦八苦。結局ルーベンは、片付けの好きなガディを自分の工場で掃除係として働かせることにする。

職場で彼の面倒をみるのは、同僚のデデ。歌手を夢見るガディは歌いながら機嫌良く仕事に励み、ルーベン行きつけの店であるリタのキッチンでも、生来の明るさで人々の人気者になる。

つまりこのドラマは、前提に家族の崩壊があり、その後に長いブランクを経て顔を合わせた父と息子が、手探りで関係を構築していくという構成になっている。こうした中で、彼らを取り巻く人々が家族に近いような雰囲気を醸し出しているのが興味深い。

ソーシャルワーカーとして親身に親子をサポートし、のちにルーベンとデートすることになるイラナ、レストランを取り仕切りつつ昔からルーべンを父のように慕っているリタ。ちょうどいい距離感でガディに接するデデと、少し小悪魔的な対応のアデラなど、血のつながらない人々によるゆるい共同体ができている。

彼らに見守られ、小さなぶつかり合いを経ながら父と息子がようやく馴染み始め、二人暮らしのリズムにも慣れてきた頃、以前から体調に異変を感じていたルーベンは、腎不全で人工透析が必要だと医師から告げられる。
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文=大野左紀子

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