マーケティングに禅を。3つの「手放す」で得る、ビジネスの本質

シザが手がけたセラルヴェス現代美術館。直線的で無駄のないデザインが、光を際立たせる (ポルトガル・ポルト)

帰国後、笑い話として友人らにこのエピソードを紹介していた。しかし、『マーケティングZEN』執筆のため共著者2人で議論し、禅僧らと対話を重ねるうちに、「評価システム」の是非について深く考えるようになった。他者からの評価が可視化され、評価のみがビジネスの成否に直結する社会の是非である。

作家の沢木耕太郎が『日本経済新聞』に「ただそれだけで」と題したエッセイを寄稿している(2022年4月3日付)。沢木は、東北のある都市で居酒屋を探し歩く。親切な客引きからおすすめの店を教えてもらい、カウンターでおいしい料理と珍しい酒を堪能する「至福の時間」を過ごすことができた。店の場所が分かりにくいことから、地元の人が客層の中心かと思いきや、店主から若い旅行者も多いことを知らされる。グルメサイトのランキングを見た上で、グーグルマップに案内されて来店するのだという。

「意外な成功体験を味わえるかもしれない機会」と「失敗が許される機会に失敗する経験」を逃してしまうとの理由で、沢木は「もったいない」と感じる。エッセイは「可能な限りネットに頼らず、自分の五感を研ぎ澄ませ、次の行動を選択する」ことによって、小さな旅も豊かで深いものになると結ばれている。

沢木が書くように、自分の感覚を信じ、自分で選択する社会の方がよほど健全である。なぜなら他人の評価に支配された世の中では、オリジナリティーが奪われていく。事業者たちは、右向け右で同じ方向を目指すようになる。人間味のある社会とはかけ離れている。

ポルトのドライバーは、過剰なまでに高い評価を期待し、無事に5つ星を獲得した。ユーザー側は高い評価に安心してサービスを利用できる。プラットフォーム側は、利用者が増えればより大きな利益を得ることができよう。三者ともにメリットの大きな仕組みだが、「数字」という形での他者の評価を、より気にする社会を生んだともいえる。

筆者は欧米や東南アジアで頻繁にライドシェアサービスを利用するが、いつからかドライバーのサービスというか、気遣いが過剰になった。暑い気候の時期・場所で乗車すると、ドライバーは必ずといっていいほど「車内の温度はいかがでしょうか」と口にする。以前はこんなことなかったのに。

ドライバーの「レビューをよろしく」という思いが透けて見える。パーパスや顧客のためでなく、レビュー獲得が仕事の目的と化しており、どこか居心地の悪さを感じてしまう。プラットフォームの方を向いたサービスは、パーパスを忘れさせる。ビジネスはいずれ破綻を来す。

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文・写真=田中森士

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