一、数字を手放す
マーケティングにおいて、顧客行動や市場の分析は不可欠だ。筆者も仕事で分析に関わることは良くある。だが、数字ばかりに意識が向いてしまい、マーケティングから人間味が失われてきた部分も大きい。そもそも、数字の情報量は限定的である。ある事象があって、それを数字という枠組みに当てはめたに過ぎない。顧客と同じ時間・空間を共にしていると、新たな気づきが得られることはよくある。自分の感覚が発見した情報だ。量的データにはない、生きた情報である。
「お金」も同じく数字に過ぎない。ツイッターのプロフィール欄に「年収1億円」「売り上げ5億円達成」などと記載したアカウントを目にする。該当人物のツイートを読んでいくと、何やらあやしげな情報商材の購入に誘導しているケースもある。
生き方、価値観は人それぞれ。しかし、人々が自分の内発的動機にアクセスできなくなった結果、「いくら稼いだか」が価値判断基準となってしまった。お金を追い求めると、「もっとたくさん」のループに入り、終わりがなくなる。そこにパーパスは存在しない。幸福を感じることも難しい。
会社経営も同じである。「目標売り上げ10億円」としてしまえば、お金を稼ぐことだけが目的となってしまう。パーパスがなければ、従業員は何のために仕事をしているのか分からなくなる。モチベーションを保つことは困難だ。
数字に頼ると、見えるはずのものが見えなくなる。感じ取れるはずのものが、感じ取れなくなる。数字を手放し、自分の感覚を信じよう。そうすることで、進むべき方向が見えてくる。
二、便利さを手放す
コンビニエント、つまり便利なことは正義だという風潮がある。しかし、手をかけることでものの価値は高まる。品質は良くなるし、ストーリーも生まれる。『ウエスト・サイド・ストーリー』は、1957年に発表された誰もが知るブロードウェイ・ミュージカルである。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』に着想を得た、「禁断の恋」を描くラブストーリー。1961年に映画化され、世界中で人気を博した。2022年、スティーブン・スピルバーグによる映画版のリメイクが日本で公開された。
着目すべきなのは撮影方法である。なんと、デジタルではなくすべてフィルムで撮影しているのだ。撮影監督のヤヌス・カミンスキーは、その狙いについて「リアルに仕上がるし、時代設定にもマッチする」と説明している(『ウエスト・サイド・ストーリー』スペシャルメイキングブックより)。
確かに、舞台となっているスラム特有の「埃っぽさ」は、フィルムでなければ本物感が出せない。一方で、10分でテープを交換する必要があるし、カチンコを書き換える作業も生じる。フィルムはデジタルとは異なり面倒なことが多い。
そこまでしてフィルムを使う理由は、果たして「リアルに仕上がる」ことだけなのか。カミンスキーは「現像するのを待っている間、何が映っているのか全く確認できずにハラハラする。ただ、僕はあのハラハラドキドキが好きだ。あの緊張感がいいじゃないか」とインタビューに答えている(同前)。
現代において、写真も映像もデジタル化が進み、撮ったその場で確認できるのが当たり前となった。その結果、作り手から「緊張感」が失われた。