映画

2023.03.18

理想の老後は「誰かの父の役割」を引き受けること?丨映画「マイ・インターン」

彼に替わってドライバーを引き受けたベンは、ジュールスの送り迎えをする中で、必然的に彼女のプライベートを垣間見ることになる。

自分のために仕事をやめ家事・育児を一手に引き受けてくれる優しい夫と可愛い一人娘に恵まれ、仕事に全力投球する若き女社長。それは一見、成功した現代女性の理想のライフスタイルのようだが、一皮めくるとキリキリした綱渡り感が伝わってくる。

常に張り詰めていて人に相談することの苦手なジュールスは、自分を気遣うベンを一旦は敬遠するものの、次のドライバーがあまりにひどかったため再度彼を呼び戻す。一連の出来事によりジュールスは、ベンのコミュニケーション能力だけでなく、実務的な能力も評価せざるを得なくなる。

ロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイ(2015年、『The Intern』UK Film Premiereにて)/Getty Images

前後して、「古さ」と「新しさ」の相互理解も描かれる。ジュールスの残業に合わせ、フィオナとのデートも返上して会社に残っていたベンのところに、ジュールスがピザを持ってきて二人で食べる場面だ。この社屋が実は、昔自分の働いていた電話帳会社の工場だったことを語るベンの言葉を通し、ジュールスはキャリアを積んだ職業人としての彼を初めて意識する。

パソコンやスマホが行き渡った現在、電話帳の需要はもうほとんどない。けれどもそれは長い期間、この社会に根を下ろし支えてきた。それはベンの人生そのものだ。

ベンもまた、ジュールスに助けられて初めてフェイスブックに登録する。互いの文化や背景を知り情報を交換する、離れた世代間のコミュニケーション。社会人としてはずっと先輩でも、最新情報には疎い年配者を安心させてくれる、ほのぼのシークエンスだ。

しかしここまでするかと感じるのは、「尊敬する人物は?」の質問に「ジュールス」と即答するベンのストレートさである。お世辞でもごま擦りでもなく、家庭を持ちながら仕事に邁進する女性を素直にリスペクトする。こういうてらいのない生真面目さがなくては、若い女性の信頼は得られないのだ。

“おじさんのファンタジー”が集約されたシーン

後半は、ベンの懐の深さと落ち着き、対するジュールスの浅慮と余裕のなさの対比が明らかになっていく。

社長に評価されてないと嘆く秘書のベッキーをうまくアシストして感謝され、アパートを追い出されて当面の住処のない若いインターンの男を家に居候させ、着実に職場での信頼を固めていくベン。

一方のジュールスは、口うるさい母に読まれたくないメールを誤送信してしまい、その“危機回避”をベンと彼の周囲の若い男性社員で担うことになる。この件をめぐるドタバタはドラマ中、もっともバカバカしいコメディ味に溢れていると同時に、ジュールスがついにベンに全幅の信頼を置く契機となる。

日頃の疲れからか盛大に酔ったジュールスが路上で「1分だけ」とベンにもたれかかり、ベンが黙って胸を貸してやっている図は、既に単なる上司と部下ではない。もちろん仕事を度外視した男女の関係でもない。頑張り屋で肩肘張ってきた娘が束の間、後ろで見守ってきた父親に甘える姿だ。“おじさんのファンタジー”はこのシーンに集約されていると言えよう。

この構図は、出張先のホテルでジュールスが夫の浮気を告白し、それを偶然見知っていたベンが受け止めてやるシーンで繰り返される。彼の励ましに押され、ジュールスは公私の行き詰まりを突破するべく、全力で当面の課題に立ち向かっていく。

一気に縮まった距離感を安易に詰めることなく、しかし頼りにされていることは意識して必要な言葉だけをしっかり届ける……これもまた、多くの経験を積んできた紳士だけになせる技である。

初めての環境で新たに父的な役割を発見した70歳。実の子や孫ではなく、子ども世代や孫世代の人々とこんな風に関わることができたら……と思う熟年男性は多いのではないだろうか。

連載:シネマの男〜父なき時代のファーザーシップ
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文=大野佐紀子

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