しかし親が子を慈しむという”当たり前”とも思える態度も、親としての自覚も、実際はそれなりの環境の中で時間をかけて学習されるものではないだろうか。
『鬼畜』(野村芳太郎監督、1978)に登場するのは、不幸にもそうした「親になる」機会を逸した父親である。
原作は、松本清張が東京地検特捜部の刑事から聞いた話を元にした短編小説。映画化で大きな反響を呼び、主演男優賞をはじめとする数々の賞を受賞。テレビドラマ化も二度されている。
なぜ父親は「狂気」に至るのか?
ざっとストーリーを見ておこう。小さな印刷所を営む竹中宗吉(緒方拳)のところに、ある日突然、3人の幼い子供を連れた妾の菊代(小川真由美)が訪れ、援助が滞っているゆえの苦境を訴えた末に、子供を押しつけて去る。宗吉は子供らを連れて菊代の居所を尋ね回るが、彼女はふっつり姿を消してしまう。当面の金策も暗礁に乗り上げ、宗吉は進退極まる。
一方、七年間も夫に騙されていたことを知って激怒した妻・お梅(岩下志麻)は、連日のように残された子供らに辛く当たり、やがて1歳の庄二は栄養失調で衰弱死する。上の二人も何とかするようお梅から圧力をかけられた宗吉は、3歳の長女・良子を東京タワーに置き去りにし、6歳の長男・利一を観光に連れ回した末に海に落とすものの、利一は辛くも助かる。
利一は宗吉について黙秘したが、所持品から身元が割れ宗吉は逮捕される。面通しであくまで父親ではないと否認する利一に、宗吉は許しを請いながら泣き崩れる。
実に救いようのない話だが、一見弱気でおとなしそうな宗吉が、なぜ我が子の殺害未遂という「狂気」に至るのか?という疑問への答えは、場面場面に周到に散りばめられている。そして、他でもない彼の弱さこそが、人倫を踏み越えさせる大きな動因になっていることが、徐々に浮き彫りになっていく。