親を信頼したい、裏切られたくない
こうした中で、母・菊代を探して家出した利一が夜遅くパトカーで家に送られてきた時、父親の名前と住所を正確に覚えていたこの6歳の少年の賢さに、夫婦は改めて不安を募らせる。ここでの利一の描写がすばらしい。交番でもらったと思しきパンの袋を、どこか勝ち誇ったようにポンポンと両手で弾ませながら二階に上がっていく利一。妹の不在について、前に父から聞かされた「他所で預かってもらったんだ」という言い訳を疑っている彼のこの態度からは、自分は一人でも家に帰って来られるのだ、良子のようにしようとしても無駄だよ、という宗吉へのアピールが読み取れる。
優柔不断な父に似ず利一は聡明で強い少年であり、その行動は、母に捨てられ妹弟を失ってもこの家にいるしかない自分の立場を守るための、痛ましい抵抗なのだ。
しかしこうした利一の決して言葉にしない主張は、夫婦の、特にお梅の殺意を助長させ、彼女に強いられるまま宗吉は、ついに利一を連れ出す。
半信半疑で宗吉についていったものの、初めての上野動物園に子供らしく夢中になっている利一は、まだ本当のところでは父を信頼していただろう。その気持ちがわかったから、与えられた餡パンの異変に気づき「帰ろう」と言った利一の顔を、宗吉はまともに見ることができなかったのだ。
親と一緒にいたい、親を信頼したい、裏切られたくないという子供の気持ちを、宗吉はよく知っている。それが彼の口から明らかになるのは、一回目で失敗し再び利一を連れ出した二回目、能登観光をして旅館に泊まった夜に、酒の酔いに任せて自身の辛い半生を息子に語る場面である。
父の顔を知らず母にも捨てられた幼少期、預けられた親戚から受けた酷い仕打ち。「捨て猫みたいに置いてきぼりだ、酷いもんだ」とかつての自分を憐れむ呟きは、まさに今現在の自身への断罪の言葉となって彼に返ってくる。
宗吉が新たに背負った最大の苦しみ
終盤、宗吉はしばしば利一に父親らしい振る舞いを見せる。殺害目的の旅と、その中でもつい漏れ出てしまう長男へのささやかな思いやりという大きなギャップは、彼の中で激しい葛藤が抑圧されていることを示している。自分の行いが酷いことを、身を持って知っている宗吉は、本当は子供を見捨てたくはなかったのだ。しかし最終的にどうしようもないと、諦めてしまった。親に可愛がられたことがなく子供の頃から諦めが身についていて、その時その時を生き延びることだけに必死だった宗吉に、「本当の親になる」という選択はなかった。
崖の上で利一を抱き上げた時、被せた上着が落ちて利一の寝顔が露わになる。そこから目を逸らし海に沈む太陽を見つめつつ、まるで自分の意志ではないかのようにだらりと手を下げる後姿。
大きな赤い夕日をバックに画面中央に黒く浮かび上がるそのシルエットは、まさに天に己の断罪を委ねる人である。これほどどうしようもなさに身を任せた無力な背中はない。
逮捕された後の宗吉が安堵の表情を浮かべているのは、罪を隠して生きていく苦痛からとりあえず解放されたためだ。
一方、宗吉に関する問いかけに黙秘する利一を見て、「あんな目に遭いながら庇うなんて、やっぱり親子だな」との刑事の台詞がある。これはいかにもお涙頂戴の凡庸な解釈であり、実際はそうではないと筆者は見る。
宗吉の前に通された利一は、涙を浮かべながら「知らないおじさんだよ、父ちゃんなんかじゃない」と強く言い切る。無論、宗吉を庇い立てしているのではない。本当はどこかで信じていた父に裏切られたという思いが、彼にそう言わせているのだ。
状況に流されるままある閾を超えてしまった弱い父を、子供は最後に拒絶した。利一から父ではないと否認されたこと、それが、宗吉が新たに背負った最大の苦しみである。
連載:シネマの男〜父なき時代のファーザーシップ
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