もう1つの軸は、その意思決定が与えるインパクトの大きさだ。失敗しても大した痛みがない意思決定であれば、過去の文脈とは外れた大胆な意思決定が可能となる。一方でその意思決定によって一人の人生が左右されるとか、企業の命運を決めるような状況であれば、当然ながら保守的にならざるを得ない。
この2つの変数を組み合わせて見ると、一言で「意思決定」と言っても、それぞれまったく意味合いの違う意思決定場面というものが浮き彫りになる。
この4象限において、一番シビれる意思決定は、右上の「学習可能性が低く、インパクトの大きい」意思決定だろう。類似事例が限られ、難易度が高く、意思決定者の決断が大きく問われる。注目もされる。ここを「ドラマ型意思決定」と呼ぶことにしよう。
森保監督のPK戦の話もこれに該当する。代表戦においてPKという機会は滅多にあるものではない。もちろん練習はできるが、あの緊張感と疲労感の中での判断を学習できる機会はほぼないと言っていいだろう。そして、言うまでもなく、そのインパクトは大きい。だからこそ、森保監督個人の直観的意思決定が問われたのだ。
しかし、意思決定はこのようなドラマ的なものだけではない、ということがここで伝えたいメッセージだ。
右下は「学習可能性がある×インパクトの大きい」領域。つまり、大きめだが頻繁に起こる意思決定のことであり、「学習型意思決定」と呼ぶこととする。期初に決める予算配分のような意思決定が該当するだろう。
左上は「学習可能性が低い×インパクトの小さい」領域であり、軽い例外事例に対する「突発型意思決定」となる。初めての出張先での予期せぬ飛行機の欠航にどう対処するか、という類の意思決定が該当する。
そして、最後の左下の象限は「学習可能性が高い×インパクトは小さい」という、「日常型意思決定」とも言うべき領域だ。今週の営業先を決めるなど、ごくありふれた平凡な意思決定のことを指す。
これら3象限の意思決定は、「ドラマ型」のように注目される意思決定にはなりにくい。類似事例が多かったり、インパクトが小さかったりで、埋没しているからだ。しかし、当然その数も、関与する人の数も圧倒的に多い。これら領域の意思決定に目を向ける意義は大きい。
例えば、「日常型意思決定」に注目してみれば、多くの可能性が開けてくる。