「今度ね、こんなものをうちの会社がつくったんだけども、聞いてみてくれる?」
それはソニーが79年に開発し、世界中で爆発的に売れたポータブルオーディオプレイヤー「ウォークマン」のデモモデルだった。
近藤があれやこれや注文をつけると、井深は嫌な顔ひとつ見せず、それどころか少年の言葉を聞き漏らすまいと耳を近づけ、うん、うん、とうなずいては、中学生の意見を傾聴するのだった。井深にとって、技術の前では人は平等であり続けた。
井深は晩年、幼児教育にも強い関心を抱き、障害のある子どもらへの支援に人生の余力を注ぎ込むこととなる。幼児期の知能の発達がその後の人生を決めると信じた井深は、自ら「幼児開発協会」を設立。この協会は現在も、公営財団法人「ソニー教育財団」として継承されている。
95年、いわゆる創業世代ではない、ソニー初の「サラリーマン社長」となった出井伸之は、ソニーのキャッチコピーを一新した。「デジタル・ドリーム・キッズ」。出井が思い描いた“キッズ”とは、新しいものを前にしてはしゃぐ盛田であり、井深であった。
井深 大 年譜
1908 栃木県日光に生まれる。
1993 早稲田大学理工学部を卒業し、写真化学研究所に入社。
1937 日本光音工業に移籍。
1940 日本測定器の常務(技術担当役員)となり、盛田昭夫と知り合う。
1945 38歳で東京通信研究所を立ち上げる。
1946 盛田と東京通信工業を設立、専務就任。
1950 同社社長。日本初のテープレコーダー発売。
1955 日本初のトランジスタラジオ発売。
1958 社名をソニーに変更。
1969 幼児開発協会を設立。
1971 ソニー会長、5年後に名誉会長。
1979 ウォークマン発売。
1994 ソニー最高相談役。
1997 12月19日死去。89歳。
児玉 博◎1959年生まれ。大学卒業後、フリーランスとして取材、執筆活動を行う。2016年、『堤清二「最後の肉声」』で第47回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。単行本化した『堤清二 罪と業 最後の「告白」』の ほか、『起業家の勇気 USEN宇野康秀とベンチャーの興亡』『堕ちたバンカー 國重惇史の告白』など著書多数。