私が尊敬するのは……
ソニー共同創業者の井深 大さんです。
私が小中学生だったころ、井深大(まさる)さんと同じマンションに住んでいました。その屋上に、たぶん当時日本初のビデオでスイング解析できるゴルフ練習場をつくられ、そこに私は毎日入り浸っていました。
井深さんもよく来られて熱心に練習をされるとともに、子どもである私に気軽に声をかけ、ビデオ映像を一緒に撮り、今度はどうかな? どうすればいいと思う? などお話をしてくれました。子どものような大いなる好奇心、すぐに実験をして新しいことにチャレンジするスピリットなど多くのことを感じる本当に素敵な時間を過ごさせていただきました。
その時は同じマンションに住んでいるおじいちゃんとしか思っていなかったのですが、あとでソニーの創業者と知ってびっくりしました。
近藤正純ロバート◎1965年、米サンフランシスコ生まれ。慶應義塾大学経済学部、米コーネル大学院経営学部(MBA)卒。88年に日本興業銀行入行。98年、レゾナンス出版(現・レゾナンス)を設立、出版業界初のブックファンドを立ち上げる。2002年、『ahead』創刊。MyGOD代表取締役、ZeroToSixtyのCEO、ANGELO代表取締役などを歴任し、21年にウインドウフィルムメーカーahead代表取締役就任。
その日──1992年10月17日、ソニーの創業者である井深大と盛田昭夫は、共に記者会見に臨んでいた。84歳となった井深が文化勲章を授与された、晴れがましい日だった。
一方、71歳で銀髪も豊かな盛田は、車いすの井深に寄り添い、満面の笑みをたたえていた。車いす生活となってからの井深は、少々言葉も不自由になっており、記者会見を無事にこなせるか不安を口にしていた。それを聞き及んだ盛田が、「井深さんの言わんとすることはすべてわかる。俺が介添え役をやるよ」と言って、井深に付き添うことになった。井深は会見で、自らの受章はさておき、共に歩んできた盛田をたたえた。
「自分は開発など好き放題やらせてもらった。嫌なこと、大変なことはすべて盛田さんが引き受けてくれた」
井深の傍らで気丈にしていた盛田だが、こらえきれず、その頬をひと筋の涙が伝わった。そこには、戦後まもなく東京の焼け跡で立ち上げた東京通信工業を「世界のソニー」に育て上げたふたりにしか見えない心象風景があった。