たとえば「日本人とは黄色人種で、古い伝統と文化を持っている民族で、日本語を話す人達」という、狭い「情報のかたまり」は、容易に「潜在的思い込み」となって、「肌の色が黒い、日本語がたどたどしい、あの女性は、日本人ではない」というような判断を生み出します。
また、日本人は、「一つの国は一つの人種で構成されている」という思い込みを持ちやすく、たとえば「アメリカ人」と聞いて白人だけを思い浮かべてしまいます。そのような人は、オバマ元・大統領の存在によって減ったかもしれませんが。
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さらに日本人は、「〇〇(国名)人だから××だ」と、国民性についての思い込みで外国の人を判断しやすいと言われています。
日本人は、電話で自分のことを告げるときや、名刺交換の際に、会社名や組織名、肩書きを最初に言って、そのあとで自分の名前を言います。相手の名前や個性よりも先に、相手の会社名や組織名、肩書きを気にします。そのため日本人は、会社や組織名、肩書きに関する思い込みが強く、肩書に惑わされやすいと言われています。
たとえば「国会議員の秘書と称する男から、地場産業の異業種交流会発足のためという名目の寄付金を騙し取られた」「水道局から水道の水質調査に来たと言われて、高価な浄水器を買わされた」「〇〇テレビのディレクターと称する男から、番組に出てほしいと言われて肉体関係を結ばされた」などという事件の被害者は、詐欺師が最初に提示した肩書や、名刺の偽の役職に幻惑されたのではないでしょうか。
思い込みをしたままビジネスに臨めば
狭い島国である日本の国境を越えて、外国の企業や多国籍企業とビジネスを展開することは、今や当たり前の形態になっています。「外国の企業」と言っても、欧米諸国のことではなく、アジアや中東、南米、アフリカの諸国の企業を指すことも珍しいことではありません。それなのに、ほかの国や民族、宗教、性別に関して、小さい、狭い「情報のかたまり」しか有していないと、それは容易に「潜在的思い込み」に変容して、ビジネス相手の事、相手企業の事や契約内容について、誤った判断をしてしまうリスクが増します。思い込みによって、好条件の話を過小評価してビジネスチャンスを逃したり、逆に、通常の契約条項を過大評価して、あとから騙されたような感覚を味わったりします。
あるいは、「〇〇(国名)人だから、ずる賢いに違いない」「この国の人は××教徒だから、こんなことをするのだ」と、相手個人の特性を、国民性や宗教などの大きなカテゴリーで狭く判断してしまい、トラブルへの事前準備や事後処理を誤ったりします。あるいは、トラブルが生じたときに「自分は被害者であり、相手が加害者だ」と思い込みます。事実は、その逆であっても。
昨今は、多様性、あるいはダイバーシティが声高に叫ばれています。たとえば、「ダイバーシティ経営」について、経済産業省は、「性別、年齢、国籍、障がいの有無、価値観、雇用形態、働き方などが異なる多様な人材が能力を最大限発揮できる機会を提供することでイノベーションを生み出し、価値創造につなげている経営」と定義しています。
このような現代なら、たとえば昭和や平成の時代と比べて、私たちが多様性を自然に受け入れているかと言うと、必ずしも、そうではありません。世の中で、多様性という言葉が飛び交っていても、頭の中にある「情報のかたまり」が小さく、狭いまま固まってしまっている人は、その「情報のかたまり」が潜在的思い込みとなって、相変わらず、目の前の人や出来事を偏って判断してしまいます。