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2022.12.25 11:30

命との距離が近い店 弘前のイタリアン「ダ・サスィーノ」の20年

オステリア エノテカ ダ・サスィーノの一皿


そうして弘前でスタートをきったオステリア エノテカ ダ・サスィーノ、実は開業当初から順調だったという。城下町であった弘前は食文化が豊かで、近くに国立病院もあり、全国の美味しいものを食べてきた先生たちは、こぞって輸入した鳩やうさぎなどを食べてくれた。
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しかし、3年ほど経た頃にふと、「これは自分のやりたいことと違うのでは」と気づいたという。すでに畑で野菜は作り始めていたが、自前の野菜だけではなく、せっかく弘前という土地に根をおろしたのだから、近隣の素材をもっと使うべきなのではないか、と。

そこで、近くの畜産農家やハンターの撃つ肉などを探し始め、野菜や果物はほぼ自家農園から、肉や魚も近隣からと、限りなくフードマイレージをゼロに近づける仕入れの体制ができあがった。

同時に、乳を分けてもらってチーズ作りを始め、猪腿肉1本で生ハム作りにも取り組んだ。日本という国で食べるには、イタリア産では塩気が強すぎるのが直接の理由だというが、イタリアで学んだ笹森氏の職人魂がうずいたことはいうまでもない。
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当時(いや、今でもほとんど)そんなレストランはどこにもなかった。話題になった。サスィーノの知名度とともに、生産者の名前も世に出るようになる。それはまさに、笹森氏が望むところだった。

もう10年近く前になるが、初めて「サスィーノ」を訪れたときには、ワインセラーに生ハムが吊るされ、同時にチーズも熟成されていた。洞窟も熟成小屋もないのに、「生ハムもチーズもできてしまうんだ」という身軽さ、発想の転換に、ただただ驚いたことをよく覚えている。現在はコロナ禍でピッツェリアを閉めているため、チーズはブッラータを除いて暫くお休みという。

評判が評判を呼ぶようになると、サスィーノで働きたいという若者も多く出てくるようになる。特に、イタリアで修業を積んでその仕上げとして、何カ月かは働かせてほしいと申し出るものが多いという。食材との距離の近さにイタリアを思い出すとともに、そうしたレストランを目指す人が増えているということであろう。

笹森氏は、いつかワインも作ろうという夢をも実現させた。ワインの苗木を植え始めたのが2005年、醸造免許をとったのが2010年。今では、業務店用に卸売り販売をするほどの規模だ。ワイン関係者などには、食後にワイナリーを案内することもあるという。


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文=小松宏子

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