「できれば来年にでも、現在ちょっと場所が離れているワイナリーとレストランを合体させたいのです。そこで、収穫体験や栽培体験、デゴルジュマンなどの体験をしてもらう。土地や空気、風景、そして料理を味わっていただくだくことに加え、農を作ることを体験してもらいたいと思っています」
ワイナリーのすぐ隣に立つ、レストラン。まさに理想郷ではないか。
食の偏差値を上げることに熱心な行政との関係も非常に良好だと聞く。売れにくい素材や扱いにくい素材などの相談もよく受けるという。
白子をとったあとの鱈が安値で売られてしまうことを問題視し、何かいい知恵はないか、という県庁に対し、氏は、イタリアで好んで食べられているバッカラ(干し鱈)に加工することを提案した。多く出荷され、煮込み料理など、東京の有名レストランでも好評を博したという。生産者の気質と資質を持った料理人だからできる料理。料理人としての深い造詣や知識が、素材を救うよい例だろう。
最後に、青森の水産資源に関しての考えを聞くと、明るい未来を提示してくれた。実は笹森氏は釣り人でもあり、100kg超の鮪も狙っているそうだ。
その鮪は枯渇が叫ばれて久しいが、その要因とも言われる大手の水産会社の産卵期の鮪の巻き網漁への反対デモなどが起きると、徐々に巻き網漁も減り、この2〜3年、目に見えて鮪が戻ってきているという。ただ、今でも規制は厳しく、30kg以下は完全にリリース。1人1日1本、1カ月で10tという規制があるが、実は、今では、瞬時にその枠がいっぱいになってしまうのだそうだ。
「青森という土地は、なんといっても鮪の聖地なんです。これだけ規制が厳しいと、釣り船から宿からコンビニまで、生活がたちゆかなくなってしまう。もちろん規制は大前提。獲れるだけ獲っていたら、必ず資源は枯渇してしまいますから。ただ、状況を見極めながらの規制を望みたいですね」と提案する。環境問題と経済の両立、そこが最も難しい問題であるのだが、なんとかこの両立をと望んでいる。
笹森氏が、地方の、いや日本のイタリア料理に風穴をあけたことは間違いない。話を聞いていて思うのは、一貫してぶれないということだ。種つけから始まる農園作りも、烏骨鶏の世話も、ぶどうの収穫も、鮪釣りもすべては弘前という地でのでき得る限りの自給自足という輪の中にすっぽりとおさまる。
夢を繋ぐイタリアンといってもいいかもしれない。巨大な資本力がなくても実現できるということを実証したのだから。外食産業の可能性と未来を広げてきたオステリア エノテカ ダ・サスィーノ。あとに続く店の発展を願ってやまない。