【対談】福武英明×内藤礼 幸せの定義を拡張する「人×自然×アート」の可能性

内藤礼《母型》2010年 豊島美術館、豊島・香川(写真/森川昇)


耕作放棄地の棚田の再生


占部:昨日、豊島美術館を再訪したのですが、夕刻、徐々に差し込む日の光も変わっていって、 “いまこの瞬間に私はここに入れて本当に幸せだな”と感じました。しかし、豊島は、日本最大の産業廃棄物不法投棄事件の現場でありました。福武總一郎さんはその島で、どのようなプロジェクトを計画されたのでしょうか?

福武:豊島は瀬戸内海に浮かぶ周囲約20km、人口800 人足らずの島です。1970年代後半から約90万トンともいわれる自動車破砕ごみなどが島外から不法にもち込まれました。

2000年、県を相手取った訴訟の調停がようやく終わったのですが、その闘いに莫大なエネルギーを消耗したこともあり、当時島民には達成感と同時にある種の虚無感や空虚感が漂っていたように思います。そこで、住民に対する新しい希望をつくりたい、というのが美術館創設の最初で最大のきっかけでした。

ただ、自然、メッセージ性のあるアート、建築、コミュニティとの調和、この4つを大切にしたかったので、建築家やアーティストさんがつくるだけではなく、住民の方にも参加してほしかった。そこで、長い間耕作放棄地となっていた美術館敷地横の棚田を、オープンに合わせてなんとかよみがえらせようということになりました。島の人たちにはかなり頑張っていただいて、美しい棚田がよみがえりました。


豊島・香川(写真/森川昇)

内藤さんに作品をお願いしたのは、「きんざ」でご縁ができたこともありますし、最終的なポイントは内藤さんと建築家の西沢立衛さんの相性がいいらしいと、風のうわさを聞きつけたことです。

建築家とアーティストの相性というのはやはり重要で、1+1が3や4になり得る、という単純なものではなく、たとえば色と色を混ぜるとき、絵の具の量や混ぜ方で出来上がる色がまったく違うように、無限の可能性がある。よい色、相性のよい色の組み合わせが大切であり、そうやって混ぜてとんでもないものが出来上がったのが、豊島美術館です。

内藤:私の作品の根底には、「地上の生の光景とは」という問いがあります。「これから生まれてくる人たち、そして先に逝った人たちの眼差しを持つこと」です。豊島美術館が完成して、私自身が最も感動したのは、そこにいる人の姿が美しく見えたことです。

自然の内にただ一つの命を抱えて生きている姿を美しいと感じた。自然のなかに鎮座する40×60mの空間は、世界で探してもなかなかない。リボンが動くことによって風を感じ、天井から差す光の変化によって太陽を感じ、一つひとつ流れる水滴によって水を感じる。

私は作品をつくるうえで、「人間は何をどこまでしてよいのか」というのは、すごく考えます。その場所に元々あるのに、なんらかの理由で人間が感じ取りにくくなっている。例えば光が入ってきているのに、その素晴らしさに気づけないとしたら、それは何か理由があるんです。

私の作品は、その場所をつくり替えるというよりは、何か最小限のものをそこに置くことによって、元々そこにあったよいものが顕れてくるように、というものです。すでに地上に私たちが与えられているもの。風であったり、光であったり、水であったり、そう、生命もです。


内藤礼《母型》2010年 豊島美術館、豊島・香川(写真/森川昇)
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編集=岩坪文子、荒川未緒

この記事は 「Forbes JAPAN No.102 2023年2月号(2022/12/23発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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