ビジネス

2022.11.03 11:00

2年後の取締役会のアジェンダまで描く。「変化力」のリーダーシップをとるCOO


植野:そのころはすでにアクティブ。

瀬名波:中学から高校までバレーボールもやっていましたね。大学ではポートランドに1年間留学して。



植野:入学前から交換留学は決めていたんですか?

瀬名波:大学の夏休みにサーフィンをするためにサンディエゴへ1カ月半ほど行ったんです。そこから留学に興味をもって、学内の相談センターへ行ったら、あまりにも英語ができなくてお説教されて。

植野:「受験勉強からやり直し」みたいな(苦笑)。

瀬名波:まさしく。それで「よし!」と2週間は TOEFLのことだけ考える生活をして試験を受けたらポンと点数が出て「ほら見たことか!」と(笑)。

植野:1年多く早稲田へ通って就活したんですね。

瀬名波:どこの面接でも「3年後に寿退社します」と宣言したんです。親に学費を出してもらって5年も私大に行ったので「3年は懸命に働き、次のチャプターに移る」と言いたかったし、自分が納得する意味でも、バリバリやれる会社に入ろうと。

植野:でも、3年で退社するはずがここまで来られた。

瀬名波:何度か辞めようとしたことはあります。その都度、悩みながらも仕事が楽しくなったんです。

植野:仕事の楽しさをどこにいちばん感じますか?

瀬名波:いまのリクルートは、人と仕事をつなげるHRマッチング領域で世界ナンバーワンになろうとしています。何かの「世界一」を目指すのは、私の人生では絶対に最初で最後。面白いですよ。

植野:別に、入社したころは世界一になる目標はなかったですよね。そのときからの面白さとは?



瀬名波:日々の「これどうしよう」という難題を解決していく達成感です。当たり前のことを当たり前以上にやると成果は出るので、最初はそれだけで面白かったです。その向こう側へ行くと、「この仕事は『自分』や『社会』にとってどんな意味があるんだろう?」と初めて考え出すんですね。各々の仕事には、きっとそれぞれにとっての意味がある。

植野:そんな意味を考える場としてリクルートという環境が自分に合っていて、変わっていった。

瀬名波:そうですね。常に変化していると思いますよ。私も、会社も。例えば、私が入社した2006年の採用パンフには「日本を解き放て」とありました。いま思えば、すごくドメスティックなメッセージですよね。実際に2010年時点で日本以外の売り上げは3〜4%でしたが、いまでは55%の比率になりました。10年でこれほど変化したんです。

植野:ザ・トランスフォーメーションですね。

瀬名波:そう、自分たちが変わっていった。「変化対応力」じゃなくて、まさに「変化力」。私たちの会社はモノをつくっていませんから「これをずっと続ければいい」といった事業がありません。基本的に誰かが「何かをやりたい」と思い、それをビジネスにして成功するか否かにサバイバルがかかっている企業体です。だからこそ、その人、その人が何をやりたいかが重要なんです。

出木場がIndeedを買収することになったのも「何をやりたいか」という思いがきっかけでした。もともと彼はHR事業をやっていなかったんです。

植野:旅行事業でしたよね。

瀬名波:2010年ごろ出木場がジャカルタに出張したとき目撃したプロヒッチハイカー(*3)の女性に「もっと危険が少ない仕事はないの?」と聞いたら「仕事なんてどう探したらいいか知らない」と返されてショックを受け、「旅行を便利にする前に、仕事探しを便利にすることが必要だ」と。アジアでホテルブッキングの買収先を探しに行った出張から戻ってきたら「これからはHRテックです!」と起案したので、役員会はひっくり返ったはずですよ。
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文=神吉弘邦 写真=高橋マナミ

この記事は 「Forbes JAPAN No.096 2022年8月号(2022/6/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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