さらに、この話を聞きながら、あらためてわかったことがある。コロナ禍にもかかわらず「ガチ中華」の出店が日本国内で加速化した背景には、それまで関わっていた在日中国人のインバウンドビジネスがにわかに停滞したことで、飲食業へ切り替えようとした人が多かったことも挙げられる。異国の地で飽くなき「発財」(財を築くこと)を旨とする彼らの生き方からすれば自然な成り行きだったのだろう。
山本店長はこんな話も聞かせてくれた。
「いま今里ではベビーブームです。その多くはベトナムの若い世代たちの結婚によるもので、高齢化が進むこの街を一気に若返らせてくれました。これからも新しい人々を受け入れ、何年か後にはまた別の国の人たちがこの街の主役になっているかもしれません。
それでも、この店のオープン当時から変わらないことがあります。それは他の店との違いで、韓国人がやっている店には韓国人しか来ない。中国人の店は中国人だけ。でも、紫金城には両方が来る。それにベトナム人が加わり、店内にはさまざまな言語が飛び交う世界が生まれています。
ベトナム人の若者たちに聞くと、本当はこの店の中国北方の料理より南方の料理の方が口に合うのだけれど、和食に比べればこちらのほうが好きなのだそうです」
筆者が紫金城を訪れた夜、店の3階でベトナム人の若いグループが宴会を楽しんでいた。以前、この店でベトナム人カップルの結婚披露宴も行われたそうだ。山本店長が続ける。
「日本でもかつてそうでしたが、ベトナムでも大勢で宴会をやるとき、中華料理店を利用するのは一般的でした。だから、彼らは披露宴の場所をここに選んだのでしょう。母国から親族が来るようなこともないので、若い彼らだけの式ではケーキカットや表玄関でブーケパスまでやっていました」
彼からこのときの写真を見せてもらったが、真っ白なウエディングドレスを着た新婦を囲んで祝福するベトナム人たちのはじけるような笑顔が印象に残った。それは1990年代の在日中国人たちに起きていた光景と似ていると当時を知る筆者は思った。ちなみにその時期は「ガチ中華」の黎明期だった。
近所にはベトナム居酒屋のビアホイもある
21世紀のエスニックタウン今里で起きていること、そのニューカマーとして現れたベトナム人の若い世代は、1990年代の在日中国人と同じように、すべてを1から始めるという経験を日本でいま行っているということである。