マネー

2022.10.18 09:00

2010年頃のビットコインは「暗号好きのコアな世界」。初期ビットコイナーに聞く


当時のビットコインはPCや暗号好きのマニアックな人の世界


──当時のビットコインに対する社会やsugumatuさん周辺の認知、認識はどのようなものでしたか。

当時はビットコインを知っている人はほとんどなく、日本語のニュースサイトも全くありませんでした。私も海外のbitcointalk.orgというサイトで情報を得てるだけでした。当時はPCや暗号好きのマニアックな人の世界でした。

でも、限定供給で、需要が増えれば価格は次第に上がるという仕組みはなんとなくですが理解していました。

知り合いや友達に教えても当時は怪しいと思われるので、積極的に教えるという事はなかったです。でも、ネットで知り合った仕事関係者数名とはテスト名目でマイニングをしました。その中にはしばらくマイニングを続けてた人もいます。それぐらいで私のまわりの認知度はほとんどありませんでした。


2011年頃のsugumatu氏のGPUマイニング機器1


2011年頃のsugumatu氏のGPUマイニング機器2

──「限定供給で、需要が増えれば価格は次第に上がるという仕組みは理解していました」について、なぜそれを理解することができましたか。

2010年後半に、ビットコインを知っていた人は総供給量が2100万枚しかなく増えないというのは知っていたと思います。公式ホームページには書いてありました。

また、自分自身でもマイニングを始めてからは中毒性を強く感じていたので、ハマる人はハマるし、欲しくなる仕組みだと感じてました。ビジネスになりそうなものに関する嗅覚は自分では鋭い方だと思っています。

2010年後半はbitcointalk.orgのディスカッションフォーラムでも価格の事を話す人が出始めた時期でもあり、興味を持つ人が増えて需要が増えると感じた人は私以外にもいたと思います。

でも、今のように高騰すると考えてた人はおそらく少ないと思います。私もこんなに高騰するとは予想外でした。

先ほど話したパートナーから時価の3倍で買ったのもそれが妥当だとお互い話し合ってのことです。彼は優秀な開発者でしたので出資は取引関係を長く続けたいという意味もありました。

枚数が欲しくてビットコインのマイニングに没頭し、キプロス・ショックで基軸通貨の可能性について考える


──いまではビットコインはインフレヘッジの資産として広く理解されていますが、当時のビットコインはビットコイナーにどのような理解・認知をされていたのでしょうか。

2010年〜2011年ごろは少しづつ価格が上がってきてたのもありますが、ただ枚数が欲しいという自分でもよくわからないゲームに入り込んでしまいました。マイニングは始めると夢中になってエスカレートしていってしまいます。

その頃のビットコインはまだインフレヘッジになるというまでは理解や認知は進んでなく、そう思われるようになるのはもっと後のことだと思いますね。

マイニングは面白い仕組みだし、事業になればいいなとは感じていましたが、知った時は20円、マイニング開始時は50~70円前後、最高額は瞬間的に1500円ぐらいになったことはありましたが、まだまだ安定性はなく収益化できるレベルではなかったです。私も2011年に入るとただGPUを増やして軍拡競争をしているような感じで出費ばかり大きかったので……。
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インタビュー・編集=内田 誠也 協力=sugumatu

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