発掘刊行されたポール・オースターの私立探偵小説「スクイズ・プレー」

(Chris Lee/St. Louis Post-Dispatch/Tribune News Service via Getty Images)


しかし執筆の動機はどうであれ、「スクイズ・プレー」のページターナーとしての面白さには、舌を巻くほかない。主人公の一人称で語られていく、脅迫状事件に端を発し、球界の花形選手に隠された秘密が解き明かされていく展開と、しみじみ語られる私生活で抱える主人公の内省が交互する展開には澱みがない。
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これでもかと繰り出されるワイズクラック(洒落た軽口)や、ファムファタール(運命の女)の登場といったこの分野の古典的な定石を踏まえながら、カビ臭さの微塵もない点も見事だ。

やがて詳らかにされていく事件の深層は、主人公ばかりか読者をも眩惑し、読み終えたあともその余韻が心をざわつかせる。後にニューヨーク3部作でも認められたミステリの手法とセンスは、本作ですでに開花しており、磨かれた文体の素晴らしさは、翻訳を通しても静かに伝わってくる。これまで紹介されなかったのが不思議なくらいだ。

なぜ続編が書かれなかったか、という素朴な疑問も浮かぶが、その理由はおそらく、本作発表からしばらくして、亡父の遺産が舞い込み、創作に専念する環境が整ったという事情の変化のせいだろう。しかし、作者は本作により、たった1編でこの分野を極めてしまった感もある。だとすれば、本作の完成度の高さは、ちょっと恨めしくも思えてしまう。
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文庫内レーベルともいうべき〈海外名作発掘 HIDDEN MASTERPIECES〉も、第4弾以降が待機中だという。そのラインナップには、やはりゴダールが「はなればなれに」(1964年)として映画化したドロレス・ヒッチェンズの原作小説なども含まれているそうだ。名作発掘の新レーベルの今後に熱い視線を送りたい。

文=三橋 曉

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