中でも、とりわけ私たちの興味関心をそそる一側面を切り取り、大袈裟な皮肉を混ぜ込んで人気を獲得しているジャンルがある。それが「タワマン文学」だ。主にツイッターで展開されている作品群は千単位、万単位の「いいね」を集めており、好評を博している。
東京の苛烈な競争から"脱落"した、地方出身者の物語も
タワマン文学は当初、名前の通りタワーマンションとその住人を取り扱った作品に絞られていた。しかし現在では、たとえば東京の苛烈な競争から脱落した地方出身者の物語が書かれることもある。こういった派生作品に明確なジャンル名はつけられておらず、一括りでタワマン文学、あるいはツイッター文学と呼ばれることが多い。
タワマン文学にはいくつかの共通点がある。
まず、何といっても作品全体に漂う鬱屈、そして諦観だ。ままならない人間関係、競争社会での挫折、現実的な金銭問題、そういった都市生活の負の側面を赤裸々に、かつシニカルに描き出す。もちろん誇張も含まれているが、それゆえに文学性が高められているのも事実だ。
固有名詞の多用も特徴の一つだろう。出身大学や子どもに通わせている学習塾、運転している車の種類や飲食物のブランドにいたるまで、実在の商品名を惜しげもなく使用する。そうすることで説得力、同時代性が増し、現実世界に彼らが住んでいるかのように読者を錯覚させるのだ。
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麻布競馬場氏、窓際三等兵氏……
タワマン文学には著名な書き手が複数存在する。代表的なのは麻布競馬場氏と窓際三等兵氏だろう。麻布競馬場氏は9月に、ツイッターで投稿した作品をまとめた著書『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』を刊行しており、窓際三等兵氏は資産形成のための情報メディア「みんかぶ」で「連載タワマン文学 TOKYO探訪」を寄稿している。どちらも数万人のフォロワーを抱えるアルファ・ツイッタラーである。
一方、書き手は彼らだけではない。数多くの人々が自分なりのタワマン文学を投稿しているのである。そしてその舞台は、何もツイッターだけに留まらない。
『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』のレビュー欄に溢れる"文学たち"
筆者は以前、『カスタマーレビュー欄で輝く文才?「アマゾンレビュー文学」の密やかな台頭』という記事で、麻布競馬場氏、及び氏の著書を間接的ながら取り上げさせていただいた。あくまでも「文学と呼んで差し支えないカスタマーレビュー」に主題を置いた内容であり、氏の作品自体に言及したわけではなかった。
記事を書くうえで秀でたレビューを引用したいと思い、レビュー欄を覗いたのだが、そこで筆者は頭を抱えた。「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」のレビュー欄には、あまりにも多くの「文学」が溢れていたのだ。著書に触発されたらしいレビュアーたちが、人生をいくらか切り取ったと思われる長文のレビューを、発売して間もないにもかかわらず、次々と投稿していた。どれを引用するべきか、本当に悩ましい問題だった。
一つ、二つのレビューに限らず、レビュー欄全体が「文学」で溢れかえるというのは、非常に珍しい。いったいどうしてこのような現象が起きているのだろう。もしかしたらタワマン文学にはただ読ませるだけでなく、それを読んだ人に何かを書かせる魔力のようなものが込められているのだろうか?