インテリジェンス感覚を磨く2つの要素
佐藤:作中には実在した歴史上の人物も登場しますね。私は『武漢コンフィデンシャル』をきっかけに、劉少奇という存在にもう一度光が当たるような気がしています。鄧小平は文革の犠牲者でありながら、中国共産党のトップに返り咲き、たくさんの人たちの記憶に残った。しかし、劉少奇は国家のナンバー2まで上り詰めたにもかかわらず、毛沢東によって排除され、名誉回復は一応されたものの、人々の記憶から消し去られてしまった。
手嶋:『武漢コンフィデンシャル』を読んでくださった若い方々から「劉少奇って誰?」という反応が少なからずあって驚きました。読書家の大学生すら知らなかった。
佐藤:『武漢コンフィデンシャル』は小説ですが、取材したデータをもとに学術論文としてのアウトプットもできたはずです。でも一般の人も手に取りやすい物語という形をとった。手嶋さんはいくつかの顔を持っていると思います。私は教育者としての顔がそうさせたのではないかと思います。つまり、中国の歴史やインテリジェンスを読書人階級、いま社会の第一線で働くビジネスパーソンや大学生に手にとってもらうため、論文ではなく、小説という形で提供したのだと。
手嶋:若い人たちから「インテリジェンスの感覚を養うにはどうすればよいのですか」とよく聞かれます。欧米の教科書を読んでも実際のインテリジェンス感覚はなかなか身に付きません。医者や研究者も含めた若い方々が物語を楽しんでいるうちに"インテリジェンス感覚"を磨いてほしいという思いから『武漢コンフィデンシャル』を執筆しました。
佐藤:手嶋さんの小説にはインテリジェンス感覚を磨く2つの要素がきちんと含まれています。
まず第1に、史実に反すること、歴史のねつ造がまったくない。歴史に関しては極めてオーソドックスに書かれてある。いまSNSで、新型コロナは中国政府の陰謀だとか、アメリカがばらまいた人工ウイルスだとさかんに議論されている。インターネットがこれだけ発達した時代には陰謀論に組み込まれがちです。そうならないためには、最低限の歴史的な知識が必要になる。手嶋さんのインテリジェンス小説は、そうした知識を学ぶ入口にうってつけです。
2つ目がインテリジェンスの文法がきちんと描かれている。インテリジェンスの世界にはこう動いたら、こうなるという法則がありますから。
佐藤優