「困りごと」を共有し、対話できるか?
この二つのイベントからの気づきは、障がいがある人、ハンディキャップを持つ人だけのものではない。ワークショップ会場にいた誰もがそう感じていた。
「障がいの有無に関わらず、みんな何かしら困りごとがある」「自分がどうしたいのか、どうして欲しいのかを伝えることは誰にとっても大事」「誰かが苦手なことがあったとき、それをどうするかを一緒に考える」などは、日常の学校生活で全ての子どもたちにとっても必要なことだ。「対話してみんなでつくりあげる」こと、「誰一人取り残さない」も、大人である私たちの日常生活、仕事にも欠かせないことだと改めて感じた人も多い。
でも、「それを普段できているだろうか?」「人に上下もえらい、えらくないなどないはずなのに、社会の中で本当の自分を生きているだろうか」と自問した人もいた。
では、このようにこれまでの価値観を大きく揺さぶられた体験を、非日常のものとして終わらせず日常に根付かせるため、教育現場で実際に何ができるのか。
特別支援学級の教員からは、「通級や特別支援学級と通常の学級が分け隔てられている」「全てを一緒にする必要はないが、日常生活を一緒に過ごすことで大事なことに気づく」という声も上がり、「学校に多様性がなければ、子どもに多様性を理解させることは難しい。何から始めればいいのだろう」という問題提起につながった。
この二つのプログラムを「社会科見学などで子どもたちに体験させたい」「まずは先生方が体験することで大きな変化がありそう」という意見のほか、今すぐ学校でできることとして、「安心安全の中で対等に対話ができる関係性をつくる」「取り残された感覚を常に意識する」という意見もあった。「果たして今までの教室は、安全に対話できる場なんだろうかと(子どもたちに)申し訳なく思った。学校でもこういう場を作らなければならない」と真摯に反省する声も聞こえてきた。
夕闇の中で「ようやく名刺交換」
「今日の体験ではあらかじめ用意された正解はなく、対話しながら自分たちの答えを探しつくりあげた。学校ではそういうことがほとんどない。子どもたちと共にそういう機会を増やしていくことが大事だと思う」というある教員の声にも表れているように、これからの教育現場での実践にも明らかな正解があるわけではない。
『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』を主宰するダイアローグ・ジャパン・ソサエティの志村真介さんは、「子どもだからこそ、大人だからこそ、障がいがあるからこそ、できることがある。そのポジティブなことに目を向けてほしい」と話す。
(写真提供=ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ)
私たちはいつからか、「社会からの無言の圧力(同調圧力)」を感じ、「助けてと声を上げられない(自己責任論)」まま、「つながりのなさ(孤立)」を強化してはいなかっただろうか。今はたまたま心身ともに健康で、社会的にも経済的にも恵まれた環境で過ごしている人でも、不自由なく暮らすその当たり前の毎日のなかで、何かに追い立てられているような気分になることが時折あるだろう。そして、今所属する集団ではマジョリティだとしても、環境が変われば誰もが即座に弱者になりうる。「純度100%の暗闇」のなかで、私たちはそのことをまざまざと体感したのである。
午前中から二つのイベントを体験し、夕方のワークショップが終了した頃にはすっかり日が暮れていた。ようやく思い出したように名刺交換を始める参加者たち。終了後もその場にとどまり、それぞれの自治体の先進的な取り組みに深くリスペクトを示し、興味深く耳を傾ける。そして、「公立の学校をよりよい場に変えていきたい」という熱い思いを、それぞれの現場に持ち帰っていった。
本当のインクルーシブとは何か。
日本の公教育の現場も、そして社会も、変わっていかなければならない。