カールソンは言う。「新しいアイデアを信じる最初の人間になるのが好きなんだ」。
ICOバブルを経たあと、ポリチェーンが最も野心的に資金を投じてきたのがDeFi(ディーファイ)スタートアップだ。DeFiは、Decentralized Finance(分散型金融)の略。ブロックチェーン技術を用いることで中央管理者を廃した金融仲介サービスのことで、DeFiの機能はすべて──決済から貯蓄、売買取引、貸し付けに至るまで──ブロックチェーン基盤のソフトウェア上で実行されている。変更はトークン保有者の投票によって加えられる。中央管理者は存在しない。
フィレンツェのメディチ家からJPモルガン・チェースのジェイミー・ダイモンCEOに至るまで、この世界では何世紀にもわたり、中間業者である銀行家たちが巨大な権力を振るい、巨万の富を築いてきた。DeFiが目指すのは彼らの排除だ。DeFiは最終的には銀行や取引所といった伝統的な金融機関にとって代わり、より安価で、よりプライバシーが保護された、安全かつ利用しやすい存在になりうると謳う。
カールソンはDeFi最大の勝ち組である取引所「ユニスワップ(Uniswap)」や貸付プラットフォーム「コンパウンド(Compound)」、貸付プラットフォームかつステーブルコインの開発者でもある「メーカーダオ(MakerDAO)」、そしてDeFiデリバティブ取引所「dYdX(ディーワイディーエックス)」に初期段階から投資してきた。DeFiトークンは目を見張るリターンをもたらし、その時価総額は、20年1月の100億ドルからいまや780億ドルになっている。
「僕はかなりの現実主義者だよ」とカールソンは言う。「クリプトが富の不平等や集中を解決するとは思わないけれど、既存のシステムを揺るがすのは事実だ」。
「年俸5万ドルはすべてビットコインで」
カールソンのクリプトとの付き合いは、彼がニューヨーク州北部のヴァッサー大学で3年生を修了した11年の夏まで遡る。ロールプレイングゲームにのめり込んでいたカールソンは、かつて存在したドラッグ売買の巨大闇サイト「シルクロード」が、ビットコインと呼ばれる暗号通貨によって成立していたことを知った。そして、 この新しいテクノロジーに胸を躍らせるあまり、それまで貯めていた貯金のほぼ全額を──約700ドルだ──当時2〜16ドルで取引されていたビットコインに注ぎ込んだ。大学の卒業論文では、台頭しつつあった暗号通貨について書き連ねた。
12年に大学を卒業し、ワシントン州のコミューンで数カ月、ユルト(トルコ系遊牧民が使う天幕) 暮らしをしながら木こりとして働いたあと、カールソンは自分の卒業論文をブライアン・アームストロングとフレッド・アーサムに──生まれたての暗号通貨取引所だったコインベースの創業者たちに─送りつけた。面白がったふたりは彼を従業員第1号として採用し、顧客サービスを任せた。カールソンが年俸5万ドルの全額をビットコインで支払うようにふたりに要求したのは有名な話だ。
プログラミングの経験はほとんどなかったものの、カールソンはコインベースの多くの定型的な顧客サービス対応の自動化に貢献。最終的にリスク対策の責任者に据えられ、コインベースの不正利用率を75%も引き下げた。