「稲盛さんは『仲間のために汗をかいているか』と言う。この言葉が私の心に落ちました。松下幸之助も福沢諭吉も、人のために尽くせとは言っていますが、理屈はわかっていても、経営は理屈通りにはいかないから、みんな悩んでいる。仲間のために汗をかくという実体験を通した言葉を聞いたとき、俺が会社をつくり、俺が雇っているんだから、俺の言うことを聞くのは当然だろうという自分の慢心に初めて気づかされたのです」
稲盛の講演テープを運転中に何度も聞き、信号で止まると、巻き戻して繰り返し聞けることに喜びを感じたという。稲盛フィロソフィの使徒を自負する坂本だが、もっとも彼らしいエピソードはその後の人生にある。
「そういうおまえはどうなのか」
2005年、65歳にして東証一部に上場したが、その2年後、週刊文春がブックオフの不正会計を告発する記事を掲載。大騒ぎとなり、坂本は責任を取って辞職した。そのとき、「八重洲にある京セラの東京事業所に来なさいと塾長側から連絡がありました」と坂本は回想する。
会長室で二人きりになると、稲盛の雷が落ちた。「あんた、一体、何を勉強していたんだ!」。坂本が事情を説明しようとすると、「お前はすぐ弁解する!」と、稲盛が畳みかける。全身から怒りを漲らせ、「反省がない!」と、テーブルを拳でコンコンと叩きながらまくしたてるため、坂本は恐ろしさのあまり、顔をあげることすらできなくなった。
盛和塾で、塾生の質問に対して稲盛が、「お前、何を言うんだ!」と、丸めた新聞紙で頭をポカンと叩く姿を見たことはあったが、このときばかりは「まるで戦いの場のような怒りで、恐怖感しかなかった」と言う。
「15分という約束で会いに行ったのに、塾長の怒りが収まらず、秘書が何度もメモを手に次の来客を知らせに来ても、それでも終わらない。京セラの役員だって稲盛さんとは5分しか面会時間はないと言われているのに、結局、私が会長室から解放されたのは45分後でした」
結局、一言も説明をさせてもらえず、“京セラの社員でもない俺が、なんでこんなに怒られなきゃいけないんだ”と嘆きたくなったが、そんな気持ちを吹き飛ばしたのは、エレベーターホールで稲盛が両手で坂本の手を力強く握ったときだった。稲盛は怒りっぱなしではなく、「頑張れ」と激励して、こう言ったのだ。
「どんなことがあっても全面的に協力する。何でも俺に相談に来い」
──それから2年後のこと。私(筆者)は坂本と会う機会があり、社会的名声を失った彼に、「これからどうするんですか」と聞いた。すると、「もうすぐ面白いことをやるから、見といてくださいよ」と自信に満ちた表情で言う。真に受けられなかったが、坂本が「俺のフレンチ」で再び脚光を浴び、大ブレイクしたのはそれからすぐ後のことだった。