ビジネス

2022.07.08 12:00

18歳で頚椎を損傷。車椅子CEOが語る「デジタルツイン」の世界

クリエイティブカンパニー「1→10(ワントゥーテン)」代表 澤邊芳明


代筆ボランティアの募集サイト


入院やリハビリなどがあり、いったん澤邊は大学を休学する。実際に復学したのは、事故から2年半後のことだった。その頃から、漠然とコンピューターを使った仕事で食べていきたいと思うようになっていたという。
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野心を胸に秘めた澤邊青年にとって、時代は完全に追い風だった。復学から1年後の1995年秋には、「Windows95」の発売によりインターネットが一気に身近になる。アメリカに発したインターネット・バブルが日本でも始まろうとしていた。澤邊も当然のように、インターネットという可能性に満ちた世界に魅せられてゆく。



「いまでは考えられないような貧弱な回線でしたが、テキストだけじゃなく、画像や音声も備えたウェブサイトが続々と誕生していった時期です。僕もこういうのやりたいなと思って、HTML言語を独学し始めました。
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最初につくったウェブサイトは、講義のノートをとってくれる代筆ボランティアを募集するサイトでした。その次に、こんどは旅行情報を自由に投稿できるサイトをつくりました。いまでいう口コミですね。好評でしたよ。そうこうするうちに、知り合いからサイト制作の依頼がきたのです。それで初めて報酬を得て、これは仕事にできそうだと思うようになりました」

そして事故から5年半が経った1997年10月、澤邊は同社の前身となるウェブサイト制作会社ワントゥーテンデザインを立ち上げたのだった。

「起業当時は、週3日大学に行き、残りの4日を仕事に使うというかなりハードな生活でした。クライアントには、一切、自分の身体のことは明かしませんでした。バイアスのかかった見方をされたくなかったのです。

京都に多かったワンマンオーナーの中小企業が『そろそろうちもウェブサイトが欲しいな』と動き始めた頃で、事業は順調に伸びていきました。営業を雇うようになっても、企画やデザイン、プログラミングは、すべて僕が1人でやっていました」

晴れて大学を卒業した2001年には、有限会社としてワントゥーテンを法人登記する。それからまもなく、澤邊の意識に大きな変化が訪れた。

「もともと僕はつくり手気質が強く、アルバイトを雇っても、結局、自分がやったほうが早く済むということが多々あり、会社としての能率が上がらず、壁にぶつかっていました。そんな時に父から『会社を経営する以上は、自分が手を動かした以上の利益を得ないといけない』と言われ、ハッと気づきました。そこからですね。制作ではなく、経営やマネジメントを考えるようになったのは」

澤邊の会社は、その後、関西のITベンチャーの雄として急成長を遂げていく。東京のクライアントとの仕事も増えて、2007年には品川に東京オフィスを開設する。
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文=前川仁之 撮影=太田真三

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