2012年1月16日発売号の「フォーブスU.S.」で表紙を飾ったエク。米国上陸を目前に、フォーブスの看板企画「30 UNDER30」に登場したものの、サービスの完成度が望んでいたものからほど遠く、連日徹夜で開発に当たっていた。睡眠不足もたたって、取材時はへろへろだった。当時のインタビューでも、「僕は発明家ではない。サービスをよくしたいだけ」と語っている。
“鉄の意志”が生んだ金脈
11年、音楽業界は惨憺たる状況にあった。デジタル音楽への移行が遅れ、著作権侵害行為とナップスターのようなファイル共有サイトに骨の髄までしゃぶられ、レコーディング事業はCDが独り勝ちしていた1990年代末の全盛期から大きく衰退していた。2011年の録音された音楽の収益は、その10年前に記録していた売上高240億ドルから40%下がった150億ドル弱だった。
そこへ突如として登場したのが、スポティファイだった。同社は06年、エクとマーティン・ローレンツォンの2人が創業。広告収入にもとづく音楽サイトを構築しようとしたのがきっかけだった。iTunesの使いやすさ、グーグルの速さ、フェイスブックのシェア機能、そしてナップスターの音楽ライブラリーの“合法版”を組み合わせた音楽サイトだ。
そこには、技術的な課題と契約上の問題があった。エクは、デスクトップ上でも、スマートフォンでも自然に機能するデザインにこだわった。物理的なサーバーとクラウドコンピューティング、そしてピアツーピア(P2P)ファイル共有ソフト(サーバーを介さずPC同士がファイルを共有できるソフト)を組み合わせた、よくできた配信システムを構築。これにより、何百万人もの人々が何千万もの楽曲に同時にアクセスできるようにした。
だが、弁護士相手の法務のほうが手強いことがわかった。何年にもわたるインターネット上の著作権侵害行為の横行により、レコード会社は音源の使用権を引き渡すことに対して過敏になっていた。スポティファイが、無料の広告収入に頼るサービスであったため、なおのことそうだったという。スポティファイが欧州にお目見えした後、エクは3年以上もしぶとく交渉を続け、ようやく米国でサービスを開始するために必要な使用権を獲得した。
「不利な契約に署名していれば、スポティファイはもっと早く米国市場に参入できたが、そのような契約ならきっと破滅していた」と、パーカーは言う。
「スポティファイを利用しようとするレコード会社やアーティストたちに鉄の意志で抵抗したのです」