「合理的にリスクを取る」北欧流人間形成「ビルドゥン」とは何か?

デンマーク在住の作家、未来学者のレネ・レイチェル・アンデルセン


産業革命と北欧諸国


「ビルドゥン」という言葉ですが、古くはギリシア人が「Paidia(パイデイア)」という概念をつくったことが始まりで、それがヨーロッパでの長い歴史を経て、1600年代にドイツ語の「ビルドゥン」という言葉で知られるようになりました。当時は宗教的概念で、「bild」とは英語の「image(像)」の意味で、キリスト、神の像を指していました。自分の人格をキリストのイメージに映す、というような意味です。

これが、1700年代の啓蒙主義運動による新しい科学の流れのなかで、ビルドゥンは宗教に代わる、文化に関連づけられた個人的な内面形成を意味するようになり、世俗的概念へと変質しました。

1780〜90年代には、ゲーテやシラーといったドイツの詩人、思想家たちによって、市民としての責任、個人の自律性、神・宗教・他人の期待からの独立、宗教への批判的思考といった、近代社会における自己形成の概念へと発展されました。そして、それが1800〜20年代に北欧に伝えられ、大人気となったのです。

それには北欧特有の理由がありました。1800年代の北欧はヨーロッパで最も貧しい国々でした。デンマークはノルウェーを支配し、スウェーデンはフィンランドを支配し、多くの戦争と領土の奪い合いがありました。1830〜40年代、デンマーク人牧師のN.F.S.グルントヴィは、ビルドゥンが当時の資産階級には学校教育や家庭を通して広く浸透していましたが、農民や田舎の貧しい人たちは、ビルドゥンには縁がなく、社会の中で孤立してしまっていることに危機感を覚えました。

ここに、イギリスで起こった産業革命が波及してきたらどうなるでしょうか。フランスでは、血みどろの革命が起こりました。この孤立した集団が、マルクス主義や社会主義といった極端で危険な思想に取り込まれ、革命に走ってしまったらこの国はどうなるのか。

いかにして、彼らが新しい経済変化に意義や目的を見いだせるようにし、産業革命の大波にスムーズに対応するか。グルントヴィは、社会階層の垣根を越えたデンマーク人としての国民的アイデンティティと、自立した個人としての客観性が同時に非常に重要であると考えました。

幸いすでにデンマークには子ども向けの7年間の初等教育機関はあり、地方の識字率も高かったのですが、ここで考え出したのは自身の人生、農場、家計に責任をもちはじめる18〜25歳の成人勤労者向けの学校です。彼らはそこで一緒に寝泊まりをし、農家のための最新技術を学びました。チーズやビールの最新の製造法や土壌改良などの知識です。また、最新の科学とデンマークの政治システムについても学びました。

また、たくさんの歌を歌い、小説を読み、聖書を学び、デンマークの文化や社会のナラティブ(物語)や深みを学びました。そのうえで、生徒同士で多くの対話をしました。「何が正しいことなのか」「よい人間とはなんだろうか」という倫理的な対話です。

学位を取るためではなく、人生のための学校でした。人生のなかのたった5、6カ月ですが、その間に、最新の知識に触れ、他人とのつながり、伝統、仕事、国、成長の機会とのつながりを感じるのです。そうして、課程を終えて家に帰ったときには、人生の喜びに目覚め、自分にもっと自信がもてるようになる。そのための学校でした。

ここで重要なのは、「何が正しい」と教えたり、特定の世界観を押し付けたりはしなかった、ということです。代わりに、考えさせ、対話させ、自分で答えを出させました。これこそがビルドゥンで決定的に重要なポイントなのです。
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インタビュー、構成=柴山由理子、岩坪文子 イラスト=オリアナ・フェンウィック

この記事は 「Forbes JAPAN No.094 2022年月6号(2022/4/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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