ライフスタイル

2022.05.16 18:30

おにぎり・フォー・ウクライナ 飲食関係者とウクライナ人が連帯

NARISAWAで開催された第一回「#onigiriforukraine(おにぎり・フォー・ウクライナ)」


ウクライナ中部のドニブロから避難してきた語学教師のマリーナ・ボロジーナさんも、7歳の息子ラミールくんとともに、生まれて初めておにぎりを作った。
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「まさかロシアが本当に侵攻してくるとは思わなかった」と語るボロジーナさんは、アニメに興味を持ったことから日本語を学び、流暢な日本語を話すものの、訪日は初めて。語学の強みを活かせることと、ロシアが核兵器を使う場合のリスクを考えて日本に来ることを決めた。夫は今もドニブロに残る。

洗米した8キロの米を何度も運んでいたのは、今回参加した酒蔵の一つで、「満寿泉」で知られる枡田酒造店の桝田隆一郎さんだ。
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「自分の酒蔵では、こういう現場の仕事を離れて久しいけれども、ウクライナの様子を見て『見ているだけで何も動かない日本人』にはなりたくないと強く感じた。いてもたってもいられずにこうして参加を決めた」と話し、ウクライナの人々と共におにぎりを握った。



この活動は、ただ募金を集めるだけが目的ではない。「一緒におにぎりを作ることで、ウクライナの人たちの傷ついた心を癒し、連帯感を感じてもらえたら」と成澤さんは語る。

キーウ郊出身の在日ウクライナ人、ユリア・ジラさんの経験は衝撃的だ。

「母国の状況を知りたくて、毎日、時間さえあればネットの前に釘付けになってしまいます、つい先日、ブチャで亡くなった遺体の映像が流れていたのです。その遺体は、妹の夫の親友のものでした。体の一部がない死体を見ることに、悲しいことに慣れてしまったけれども、さすがにショックでした。死はウクライナ人にとって、すっかり身近なものになってしまった」

ユリアさんの祖母が高齢で避難ができないため、両親は今もキーウ近郊に残り、1歳半の子どもがいる妹もキーウに住んでいる。毎日ビデオ通話で連絡は取りあうものの、通話を切るときには「本当にまた話ができるのか」と、不安がよぎるという。

日本に来て3年。以前はレストランでサービスの仕事をしていたが、足を痛めて長時間の立ち仕事ができなくなり、現在職を探している。日雇いの仕事を見つけては、家族に送金しているが、ウクライナでは危険をおかしてATMまで行っても、中に現金がないこともある。閉まっている商店も多く、わずかな食料を分け合って食べる家族の状況を知るだけに「コーヒーやお茶のような嗜好品を口にするなど、自分だけが侵攻前のような生活を楽しむことに、罪悪感を感じるようになった」という。
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文・写真=仲山今日子

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