海上自衛隊呉地方総監などを務めた米ハーバード大アジアセンターの池田徳宏シニアフェロー(元海将)は最近、ウクライナ情勢を研究するなかで、この論文「A DEFENSE CONCEPT FOR UKRAINE」に出合った。マサチューセッツ工科大学(MIT)のBarry Posen博士が1994年11月に発表した。ポーゼン博士は「多層防御戦略」という軍事戦略によって、想定されるほとんどの脅威シナリオに、少なからず効果的に対処できると説明していた。
池田氏は多層防御戦略について、同氏が笹川平和財団「日米同盟の在り方研究」WEBページに寄稿した論文で、「キーウなど国土の中央を南北に流れるドニエプロ川によって、ウクライナは東西に分かれている。ドニエプロ川の東側に機械化機動部隊を展開して防衛戦を続ける一方、湿原や川などの自然の要塞で隔てられた西側では、一般市民を避難させながら陣地を強化して、最終的に敵を迎え撃つという戦略だ」と語る。
論文の発表から28年が経過した現在、ウクライナでは東・南部のマリウポリなどで抵抗を続ける一方、西部のリビウなどを通じて市民の国外退避を進めた。
池田氏は「28年前にウクライナの防衛戦略を見事に予見している点で、この論文は高く評価されるべきだと思う」と述べる一方、「この論文がなぜ書かれたのかという点に注意する必要がある」と語る。
論文が書かれた1カ月後の1994年12月、核を保有する米国・ロシア・英国が、核を放棄するウクライナ・ベラルーシ・カザフスタンの安全を保証するブダペスト覚書に署名した。池田氏によれば、ブダペスト覚書は米国の核専門家の間で、誇るべき成功体験として共有されているという。池田氏は「ポーゼン博士の論文には、ウクライナの核放棄が正しい道だという前提に立って、核保有に代わり得る戦略を示すという目的があった」と指摘する。
実際、ポーゼン博士は論文で「ロシアがウクライナに対し、限定的な戦略目標を獲得しようとする場合、ウクライナの核兵器が信頼できる抑止手段となるとは思えない」と主張している。ロシアは5月9日までに、ウクライナ侵攻で、クリミア半島併合の正当化や東・南部地域の支配などを目指しているように見える。
ウクライナはすでにロシアとの停戦交渉のなかで、北大西洋条約機構(NATO)加盟を当面断念する考えも示した。ロシアが「限定的な戦略目標」を獲得する可能性が出るなか、ウクライナはロシア侵攻を止められなかった。