テクノロジー

2022.03.10 07:30

米タイム誌「今年の発明品100」に選出 イスラエルの英雄がつくった「目」


そして、もう一つ。オーカム誕生の背景には、シャシュアの個人的な想いもあった。

話は1980年代にさかのぼる。当時、米マサチューセッツ工科大学(MIT)の博士課程に在籍していた彼は、休日を使ってニューヨークで暮らす叔母を訪れた。叔母は、加齢黄斑変性を患っていた。それは、モノを見るために必要な黄斑という組織が、加齢とともに変化して視力の低下を引き起こす病気であり、失明の可能性もあった。シャシュアは視力が衰える叔母に懇願された。

「あなた、お医者さまでしょ。なんとかならないの?」

ドクターと言っても博士で、数学者のようなものだから—。弱り切ったシャシュアはそう答えたが、このやりとりが心に引っ掛かり続けた。

それから30年余。オーカムは、シャシュアの叔母のように目が不自由な人(視覚障がい者)や高齢者、失読症の人を対象に、ウェアラブル視覚支援デバイス「Orcam MyEye(オーカム・マイアイ)」と、「OrCam Read(オーカム・リード)」を販売している。ユーザーはメガネのフレームに、磁気でくっつく人差し指大の端末「マイアイ」を装着し、「記事の見出しを読んで」と伝えれば、端末は見出しをスキャンして検索結果を読み上げ、知りたい記事の内容を音読してくれる。印刷物はもちろん、紙幣、スマホやパソコンの画面、缶など曲がった形状のモノの表面もスキャンできる。一方の「リード」は読むことに特化したスティック状の端末だ。

マイアイは、カーナビならぬ“ヒトナビ”としても使える。周辺にいる人や物体、空間についても教えてくれるのだ。顔認証機能が男性、女性、子供を識別するほか、知り合いを登録すれば、その人物も教えてくれる。しかし、プライバシー保護の観点からデータは端末にのみ留まる。スキャンしたデータは読み上げが終了すると、自動的に消去される設計で、クラウドに送られることはない。マイアイは19年に、リードは21年に米誌タイムが選ぶ「今年の発明品100」に選出されている。

取り残してきた人々の“救出”


マイアイの可能性を表す出来事がある。イスラエルではここ数年、与党が連立政権を樹立できず、総選挙が続いた。視覚障がい者にとって投票は容易なことではない。そこで19年、オーカムは政府と協力してある実証実験を行った。国内12カ所の投票所にマイアイを用意したのだ。2万人以上の視覚障がいをもつ有権者の、エスコートなしで、プライバシーが守られた状態での投票を支援するという、世界で初めての試みとなった。民主主義の根幹である選挙に参加できずに、“仲間外れ”にされていた多くの市民が、社会に参加できた瞬間だった。

「オーカムを使っても目が見えるようになるわけではありません。でも、代わりにできることがあります。誰かが常に同伴して文章の内容や障害物、危険について教えてくれるように」(シャシュア)

シャシュアの問いはさらに深まっていく。これが「目」だとしたら、「耳」の場合はどうか?

人は、大人数が集まっている場でも周囲の雑音から話し相手の声を聞き分けて会話ができる。いわゆる「カクテル・パーティー効果」と呼ばれるものだ。しかし、補聴器を使っている聴覚障がい者にとって、こうしたノイズが多い場での聞き分けは容易ではない。そこで、マイアイのカメラやAI、画像認識機能と組み合わせることで“読唇術”のように話し手の口の動きを読み、声を聞き取りやすくする端末「OrCamHear(オーカム・ヒア)」を開発。22年下半期の発売を予定している。

オーカムの社員によると、シャシュアは「相棒としてのAI」という言葉をよく口にする。つまり、AIは無機質なアルゴリズムから、パーソナライズされた利用者の友になる可能性を秘めているのだ。
次ページ > 社会の問いに、会社で答えよ

文=井関庸介 編集=森 裕子

この記事は 「Forbes JAPAN No.090 2022年2月号(2021/12/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事