スケールは追わない。予約困難の独創的なケーキと、一日1組のレストラン経営で勝負するシェフの覚悟。
北野唯我(以下、北野):料理を学べる高校を卒業して、10代で修業を始められたのですね。
庄司夏子(以下、庄司):世界を目指すお店で働いて、その目標をかなえるサポートを頑張りました。でも、あまりに一生懸命すぎて、一緒に暮らしている父の入院や肝硬変にさえ気づきませんでした。亡くなる直前も私は仕事のほうが優先だったので、みとりにも行けなくて。母にも同じひどいことをしてしまうと思い、一度は料理人を辞めたんです。
北野:その後、自分のお店を立ち上げましたね。
庄司:いま評価をいただいている予約制のケーキ販売も、一日1組のレストランも、自分ひとりの手が届く範囲でやれるスタイルを選んだ結果でした。
23歳で融資を受けられましたが、1000万の負債をいきなり背負ってしまったと感じて。もう、違う人間の脳みそになってしまったぐらい、自分にとって重圧でした。「失敗したら死ぬしかない」と覚悟して、自分に生命保険をかけたんですよ。
北野:私も「32歳までにベストセラーを出せなければ死のう」と思っていたので、よくわかります。具体的に、どう庄司さんは変わったんですか?
庄司:「1秒でも早く有名になるしかない」という気もちになりました。成功の基準もわからないままに。
北野:もともとの性格は違ったのですか。
庄司:ずっと家にこもっていたいタイプです。漫画を読むのが好きだし、黙々と手を動かすのも好きで、料理の仕込みだけできていれば満足でした。
お店を始めてからは「2人の自分」がいました。1人は素の庄司夏子。もう1人は「エテ」というお店とブランドを担当する、自分で「エテ子さん」と呼んでいるんですが(笑)、その庄司夏子。仕事でピンチのとき「エテ子だったらどうする?」と自分を俯瞰して分析する役割です。「庄司はやりたいけれど、エテ的にはダメだろう」と判断していたのに、いまはそういうことがなくなりました。個人の自分が消えた気がします。
お店やお客さんにとってどうかが基準で、庄司夏子がやりたいことはないんです。お金も時間もすべて捧げていて、それを1ミリも無駄にしたくなくて。本当にお店以外のことに興味が湧きません。
北野:世の中の経営者たちも、会社と自分が同化して溶けている感じの方が多いと思いますよ。