見栄とお金。金融教育で子供たちに伝えたい大事なこと

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金融リテラシーは投資の話だけではない


見栄の張り合いやマウント合戦は、何もお金だけの話ではない。筆者は評価の尺度を外部に持つ人で幸せそうな人を見たことがない。どれだけお金や資産をもっていたとしてもだ。

「評価の尺度を外部に持つ人」とはどういう人物のことか。それは、他の人よりもお金を持っているとか、他の人より学歴や肩書きが立派であるといったように、誰かと比較しないと自分の幸せを実感できない人のことを指す。

こうした他人に対して勝つことで幸せを実感するタイプの人は、とにかく見栄を張りやすい。そして見栄を張るためにはお金がかかる。ブランド品を身につけたり、高級外車を買ったり、都心の高層マンションに住んだりしないといけないからだ。

しかも、いまはSNSが全盛。とにかく豊かな自分の生活を写真や動画でアップして、自己承認欲求を満たしていく。SNSが登場するまでは自分の周りの人間だけにマウントしていればよかったが、SNSの時代となると不特定多数の第三者までが対象となる。そうなれば上には上がいるため、このマウント合戦は終わりの見えないものとなる。

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このような生活が幸せだというのなら筆者は何も言うことはないが、実際はそうではないだろう。散々浪費した挙句、最後には徒労感や虚無感だけが残るのではないだろうか。

金融リテラシーというと、どうも投資の知識だけを指している印象があるが、そうではなくて、有意義なお金の使い方を知ることもまた金融リテラシーの向上といえる。

筆者は、小学校低学年の子どもたちにお金の話をするときには、お年玉やお小遣いをもらったら、どのようなアクションを起こすかという点について彼らと話し合う。

親は子どもにお金をあげる時に特に深い考えもなく「無駄遣いしちゃダメだよ」とか「ちゃんと貯金しなさいよ」と言ってしまいがちだ。大げさな表現をすれば、この刷り込みが「貯蓄こそ美徳であり、お金を使うことは悪である」という価値観を植え付けてしまうことになる。

お金をもらったときにはいくつかの選択肢が生じる。大人であれば寄付や投資という選択肢もあるが、子どもの場合は使うか、貯めるかの二択であろう。

使うか、貯めるかという選択において、どちらが良いとか悪いということはない。いまの自分にとって、そのお金を使って買い物をすることが最も満足度が高いのであれば正解だし、いまは使わずに貯めて、将来的にもっと高いものを買ったほうが満足度が高いのであれば貯めることが正解なのだ。

筆者はお金について子どもたちと話すとき、お金を手に入れたときは使うか、貯めるかという選択を迫られ、仮に使うという選択をした場合は、同時に貯めないという選択もしたのだという事実を意識させるようにしている。

おそらく今年は「金融教育」や「金融リテラシー」という言葉をメディアで目にする機会が急増すると思う。読者の皆様には投資だけでなく、お金の使い方や貯め方など幅広いことを学ぶことが金融教育であり、その結果として得た知識が金融リテラシーであるということを理解いただきたいと考えている。

連載:0歳からの「お金の話」
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文=森永康平

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