このニュースを見て思い出したのが、過去、脱北した北朝鮮の元外交官たちから聞いた様々な苦労話だった。北朝鮮の外務省職員は1300人から1500人ほどだが、そのうち海外に駐在する外交官は300人程度とされる。外貨を稼ぐ貴重な機会を得た人々で、それなりに豊かな暮らしができる。大韓航空機爆破事件の実行犯だった金賢姫氏も、父親がキューバに駐在していた1960年代、おやつにパンを食べる習慣があり、北朝鮮の一般の子どもより華やかな暮らしだったと、自著『いま、女として』(文春文庫)で明らかにしている。
1980年代、北朝鮮の副首相一行が外遊で、北欧にある北朝鮮大使館にやってきた。副首相は浮かない顔をしていた。大使館員だった、私の知り合いの元外交官が理由を尋ねると、副首相は「子どもが結婚するので、肌着や化粧品などを買ってきて欲しい」という家族からの伝言のメモをみせてくれた。元外交官がメモを見ながら想像したところ、全部合わせて1000ドルぐらいの買い物だった。当時、普通の北朝鮮政府関係者の海外出張の日当が0.5ドル、副首相は5ドルだったという。元外交官が「心配しないで」と言って、大使館の資金で500ドル分の買い物をし、残りは現金で持たせて「北京で買い物をしてください」と伝えた。副首相は泣いていたという。
そんな北朝鮮外交官たちの華やかな生活を支えていたのは、非合法な外貨稼ぎだった。2000年代にロシアの北朝鮮大使館に勤務していた元外交官は、「当時の月給は400ドルくらいだった。それだけでは生活費にも事欠くので、いろいろな外貨稼ぎをやった」と話す。一番手っ取り早いのが、免税品をたくさん購入して販売し、差額を儲けるというやり方だった。イスラム圏のような国で酒類を高く売りつけることもした。また、覚せい剤などをパウチと呼ばれる外交行囊に入れて検査をまぬかれるという手法もあったという。この元外交官の場合、ロシアで手に入れたペニシリンを北朝鮮国内に送り、仲間が高値で売りさばいたという。
しかし、国連制裁決議など国際社会の監視が厳しくなると、こうした非合法な取引は非常に難しくなった。この元外交官は「カネがないので、ロシア人に季節の贈り物を届けるのが難しかった。接待はもっぱら、大使館での宴会で済ませた」と語る。