マナーの話がまさかこのようにラグジュアリー領域とつながるとは。
「熟練職人による高品質の製品は、単にハイスペックのモノ。そのモノをどう扱うかによってラグジュアリーかどうかが決まる」。「文化遺産とはモノの扱い方に関する習慣や知恵を含む」
この指摘には、はっとさせられました。文化やコミュニティを創るビジネスとしてのラグジュアリーを考えるならば、やはり扱い方に関する知恵やマナーは避けて通れない議題にならざるをえません。
英国紳士の世界の「究極の定義」
イギリスの紳士文化を研究してきた視点から例を挙げるならば、「紳士がもつべき最高品質のモノ」というのは、その独特の取り扱い方のマナーとセットになっているゆえに、ラグジュアリーとしての地位が守られてきました。それを扱えることが、紳士コミュニティを形成する重要な要素にもなっていました。
たとえばシルバーウェアは、そもそもそれを常時、磨いてくれる執事またはそれに代わる人の存在が不可欠です。もちろん、自分で磨いてもよいのですが、多少の知識および、かなりの時間と労力が必要です。
いわゆる紳士にふさわしい服装というのも、ただ最高品質のアイテムをサヴィルロウやジャーミンストリートで買えばいいというわけではありません。時間、場所、状況においてどのアイテムを選び、どんな小物を合わせ、どのように着るのか。細部に至るまで煩瑣な服装の「ルール」なるものを、マナーとして身に着けておかねばなりません。
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それをきちんと着こなしたとして、オペラや競馬鑑賞における振る舞い方、食事の際のメニューの選び方や食べ方のマナー、話し方や言葉の選び方、贈り物や返礼のマナー、チップの渡し方、はては女性の扱い方のマナーにいたるまで、紳士文化には常にマナーがまとわりついていました。「マナーがエリートの品格とダイレクトにつながる」世界ですね。
このようなマナーは、同じ階級の人たちが集まる学校や閉鎖的な紳士クラブなどで時間をかけて醸成されていくもので、決して「正しく」成文化されてはきませんでした。その文化の一員になりたい部外者向けのハウツー本は大量に出回ってきましたが、部外者がその本に書かれたマナーを完璧に学んですべて条件を満たしたとして、決して「本物の紳士」と認められるわけではなかったのです。
「ジェントルマンの条件をすべて満たす男は、ジェントルマンではない」という究極の定義がここに生まれます。