ノーベル賞もついに評価 シミュレーションと占いの違いは?

米プリンストン大学の真鍋淑郎博士(Photo by Mark Makela/Getty Images)


占いから数値予報への道


そもそも、現在のような天気予報が行なわれるようになったのは、18世紀に啓蒙主義が科学的合理性を主張し産業革命も起こったことで、科学やテクノロジーの役割が格段に向上した後のことだ。物理や化学以外にも、自然の動植物をリンネのように分類する博物学や、人口や農作物生産量や貿易の取引高や社会的動向に関するさまざまなデータを取って、合理的に組み合わせて社会活動や政治に役立てる統計学も一般的になっていった。

マルサスが『人口論』(1798)で、指数的に増える人口が直線的にしか増えない食料生産を上回るせいで貧困が起きると、統計学的手法で社会のあり方を論じ、それに影響されたダーウィンが生物に同じ手法を当てはめて自然淘汰による『進化論』(1858)を論じるなど、19世紀になって、社会や自然をめぐるありとあらゆる事象を、データを元に解析する手法が一般化していった。

この時期は、産業革命の成果が様々な新しいメディアの革新をもたらしたのだが、その最も顕著な例が電気の発明だろう。発明と言うとおかしく聞こえるが、18世紀にフランクリンが雨の日に凧揚げをして放電現象であることを実証するまで、雷は神の怒りと見なされており、電気はコハクなどをこすると火花が飛ぶ不思議な自然現象でしかなかった。

また18世紀半ばにはノレ神父が多数の修道士に手をつながせ、摩擦電気を起こして端の人に流したところ、1マイル先の修道士が瞬時にしびれ、電気がとてつもない速さで伝わることがわかったという話が伝わっているが、電気は奇術の仕掛け程度の扱いでしかなかった。

ところが19世紀になると、ボルタが電池を使って自由に電気を起こし、電気が流れると方位磁石が動くことから、電気と磁気が関係していることにエルステッドが目を付けた。その原理を応用して、電線に電気が流れているかどうかを磁石で検出して、遠くに瞬時に情報を伝える電信ができたのは、1830年代のこと。その後にモールスなどの人々が長距離電信を実用化した。


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ちょうどその頃起きたクリミア戦争(1853〜56)では、電信網が欧州から中東にかけて張り巡らされ、郵便で何カ月もかかっていた情報が数分で伝わるようになり、日々の戦況がリアルタイムでタイムズ紙に掲載されるようになった。遠く何千キロも離れた地の戦況が裏庭で起きているような報道に、いてもたってもいられなくなったナイチンゲールは志願して兵士の看護に現地へと向かい、近代看護の礎を築くこととなったことは以前にも述べた。

この戦争では変化の激しい黒海の気象のせいで、フランス軍の艦隊が嵐で沈み、開戦前に半減するという悲劇が起き、フランスで気象研究の重要性が叫ばれるようになった。イギリスでも1854年に気象庁ができ、1870年代には天気図の作成が開始されて、1875年には「ロンドン・タイムズ」紙に一般向けに天気予報が掲載されるようになる。
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文=服部 桂

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