気象現象は隣り合った地域の大気が影響しあって気圧や温度が変化するが、電信によって広い地域や遠隔地の天気が瞬時に共有されるようになれば、周りの状況から次の天気を予報しやすくなる。中世には国家といっても君主が馬で行き帰りできる範囲しか領土を支配できなかったが、海外の植民地を支配することで成り立った帝国時代には、電信のような地球の裏まで瞬時に情報が届く手段が必須で、逆にこういう手段が帝国主義を可能にしたとも言える。
そして20世紀にはいると、データを使った数値解析法をリチャードソンが提唱し、微分方程式を解いて気象予報を行おうとしたが、計算量は膨大なものになり、6時間後の予報のための計算に2カ月かかるありさまだった。彼は6400人の計算係を各地点に対応して並んでもらえば、実用的な予報ができると考えたが、これはまさに人間並列スパコンの発想だった。
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そうしてやっとこうした計算が実際にできるようになったのは、戦後に電子式の現在のコンピューターができてからの話だ。そのためには各地のデータを収集して大気のモデルに当てはめ、現在の状態が次の状態にどう影響するかを順次計算していくのだが、細かくデータを取ればとるほど精度は上がるものの、計算にかかる手間は幾何級数的に増えてくる。
こうやって気象モデルを使って数値計算をしていくうちに、ローレンツが最初の値のちょっとした誤差で計算結果がとんでもなく違うカオス現象が起きることもつきとめた。その後は、モデルの正確さと予想結果の誤差をいかに小さくするかという研究が進み、現在は世界各国でスパコンを使って予報が行なわれるようになった。
未来を占うコンピューター
コンピューターが単なる数字の計算の道具ではなく、それが自然や社会のありとあらゆる現象のメカニズムの解明に使えると最初に理解したのは、人間の論理思考をモデル化してコンピューターの基礎を作ったアラン・チューリングや世界初の電子式コンピューターENIACの開発に携わったフォン・ノイマンなどのパイオニア達だったが、世間ではまるで理解されず、戦後にコンピューター業界の雄となったIBMでさえ、創業者のワトソンが、世界で5台売れればいいと考えたほどだった。
しかしよく考えれば、大砲の弾道や水爆の設計をした次には、当然のことながら天気予報が対象となり、さらには経済や社会の動向など、ありとあらゆる現象を論理的に計算して予測することは可能になることは今ではわかる。
1972年にはスイスのシンクタンク「ローマクラブ」が、MITのデニス・メドウスのチームに依頼して、人口や工業生産、環境汚染などのデータを組み合わせるモデルを作って、さまざまな条件でシミュレーションを行い、「100年以内に地球上の成長は限界に達する」という結論を導き出し、世界に衝撃を与えた。
その基本論理はマルサスが『人口論』で論じた話をコンピューターのプログラムに移したものであり、こうした発想は真鍋博士のモデルがIPCCによる二酸化炭素量の増加が地球温暖化にどう影響するかを想定する論議にもつながるものだ。