フンデルトヴァッサーの遺産
Q. 環境保護の促進という意味で、当時のフンデルトヴァッサーの社会的な影響力は?
フンデルトヴァッサーの未来像は、自然と環境保護における取り組みに基づくものでした。彼自身が、自己の作品や活動を通じて、人々により良い世界を作る可能性を示し、彼のユートピアを芸術家としての日常において現実のものとしたのです。
彼は影響力がありました。フンデルトヴァッサーは、首相やウィーン市長など、国内の政治家ともつながりがあったのです。当時の政治家は非常にオープンで、彼の思想だけでなく、彼と共に芸術や建築プロジェクトを実現することに興味を示していました。
ある日彼は、ウィーン市から、当時なんの変哲もなかった市内の廃棄物焼却施設のデザインを依頼されました。その時、引き受ける条件として、ウィーン市内における廃棄物の分別義務を設置することを提示しました。また、彼は、処理施設へのフィルター設置を強く要請し、当時としては最も進んだ技術が投入されました。そのおかげでウィーン市では、80年代という非常に早い時期に、紙・プラスチック・ガラス廃棄物の分別を開始しました。このシステムは、市とフンデルトヴァッサーとの協議によって始まったのです。結果、ウィーン市は大きく変わりました。
写真:クンストハウス・ウィーン提供
Q. 環境活動家としてのフンデルトヴァッサーから我々が学ぶことは?
彼は、その活動のなかで「自然との契約」を提案しました。内容は非常に詩的なものですが、「契約」という形態は、それを交わす二者の間には同等の権利があることを示します。ここから分かるのは、フンデルトヴァッサー自身は、常に自然と人間は、個別のものではなく一体であると考えていたことです。これが彼自身の自然に対する敬意だったのです。また、彼が提唱した「自然との契約」は、環境における「権利」が法の下に定められるべきであるのかという今日の問いを示す、我々に残された遺産とも思われます。
60年や70年代の都市には、工業化や都市住宅の建設によって緑が減少しました。そこで、フンデルトヴァッサーは、どのように自然を都市に持ち帰るかを考えていました。その実践の一つとして、床の設計があります。
彼によると、木々が生える地面は、直線でも平でもない。そこで、起伏する床が生まれました。直線は、彼にとって人工的なもので、自然ではありません。従って、この美術館を含め、彼が設計した建物には床以外にも多く曲線が使われています。
ここを訪れる人たちからは、「心地よさ」を感じるという声を聞きます。人々は、ここにくるとフンデルトヴァッサーが建物に持ち込んだ「自然」が尊重されていると感じるのです。